いま、この文章を書き始めた日は、2020年7月1日です。言うまでもなく今年3月頃から、世の中は新型コロナに大きく影響されました。
まだ事態が収束したわけでも(もちろんウイルスが終息したわけでも)なく、その渦中にいるのですが、つぎつぎと変化した、さまざまな現実について、落ち着いて、いちど自分なりに確かめてみないと、足元を見うしないそうな不安があるので、
3月から僕個人が感じてきたことを、振りかえってみたいと思います。


3月

近所の薬局やスーパーで、まずマスクを売る棚が空になり「入荷未定」と紙が貼られ、そしてティッシュやトイレットペーパーを求める行列ができるといった光景が見られ始めました。
テレビのニュースでは、別荘へ避難しようとする東京の人、「都会から菌を持ちこまないで」と言っている地方の人の姿などを映していました。

僕がおもに感じたのはウイルスに対する危機感ではなく、情報に振り回されて買いだめなどをする人たちへの反感や、
健康増進法にある「健康維持は国民の義務」という言葉を真に受けたかのように、健康のためならと暴走に近い行動をとる人たちへの反感で、
そういった人たちは、要するに「さわぎすぎ」に違いないと思っていました。

コロナを特集した、たとえば池上彰氏の情報番組では「毒性は低い」「致死率はインフルエンザより低い」と新型ウイルスについて語られ、「おそれすぎず、正しい情報を得て行動しよう」と呼びかけていました。

もしかしたら、僕が十代だった30年位前の時代だったら、「最近、変なウイルス流行ってるみたいだから、なるべく気を付けよう」といった程度で済んでいたことかもしれず、世の中全体が、やはり大げさに騒ぎすぎているだけじゃないか、そんなことも考えたりしました。

けれども、3月下旬になり、このウイルスに対する情報は完全に錯綜し始め、もし正しい情報を言うとするなら、「未知のウイルスだから、よく分からない」と、専門家も言うしかないことが、だんだん分かってきました。ひとつはっきりしたのは、「さわぎすぎ」の一言で済むようなものでは、なかったということです。

<4月に続く>