2009 12 寝込んだ日

 今年は12月に入っても例年より寒さを感じず、また暖冬と天気予報でも確か聞いたので、割と薄着で過ごしてましたが、やはり季節の変わり目に油断は禁物であったのか、ある朝起きたら風邪の兆候と思われる、喉の痛みがあったので、今までの薄着を改めて、ヒートテックのインナーを着たりして、厚着でその日外出したところ、日中歩いたり自転車に乗ったりしているうち、やはりそんなに低くない気温と、ヒートテックの効果により、身体がポッカポカになって多量の汗を掻き、ヒートテックを脱いだところ、今度はそれまでに掻いた汗で、急激に身体の熱を奪われ、少し寒気を覚えたりしつつも、またインナーを着るのも面倒臭いと、そのままその日過ごした結果、夕方頃からダルくなり、夜になって発熱し、完全に風邪を引きました。ヒートテックの思わぬ陥穽にはまってしまった、体調管理ミスであります。

 病気により一人部屋で寝込んだりしていると、その体調不良により気分も何だか落ち込んで、孤独感をしみじみ味わったりいたします。今回の風邪っぴきによる寝込みのさなかにも、そういった孤独が訪れて、ロンリー気分にふと蘇った僕の記憶は、十数年前にやった夜勤の短期バイトの事で、その思い出を書きますと、まず前もって指定されていた、大田区のある駅前に夕方行くと、ボロい小型バスがやって来て、早くこれに乗れと言われ、乗車すると車内には、僕と同じく動きやすく汚れてもよい服装をした、無口で無表情な男達が二十人位いて、発車してからも誰も一言も言葉を発さず、その沈黙と日が沈んで次第に暗くなる車窓からの眺めに、不安と心細さがあおられて、「一体どこへ連れて行かれるのか」と恐怖を感じ、逃げたい帰りたいと思い始め、しかしバスは海がある方向へとひたすら進み、到着したのは人気のない埋立地にある、でっかいプレハブみたいな作業場で、場内はベルトコンベアーが張り巡らされていて、段ボールやボール紙やエアキャップ(プチプチのビニールシート)等で梱包された色んな荷物が、引っ切りなしにコンベアーを流れており、その流れをさかのぼって見てみれば、数台のトラックの姿があり、そのそれぞれの荷台には、鬼のような形相をして暴れている様子のトラック野郎がいて、でもよく見たら暴れている訳ではなく、単に荷下ろしをやっていただけですが、しかし暴れているとの表現も言い過ぎではなく、トラックの荷台の大量の荷物を、コンベアーに流すため下ろしていると言うよりも、荷台からコンベアーの近くを目掛けて、勢いよく投げ捨てている感じで、恐ろしい事に僕が命じられた仕事は、その荷下ろしの補助作業、つまり乱暴に投げられた荷物を、きちんとコンベアーに乗せる作業で、指定されたトラックの荷台付近へ行き、慣れない仕事に手こずりモタモタ作業していると、トラック鬼野郎が怒りに猛り狂って吠え、また作業員を監視するつもりなのか、少し高い位置に見張り台のような所があって、そこにいる仁王立ちした一匹の鬼男にも、マイク越しに罵声を浴びせられ、まるで地獄の真っ只中にいるような気がして来て、泣きそうになるのを耐えながら働き、やがて訪れた束の間の休憩中は、作業場の隅っこに一人うずくまって小さくなり、ひしひしと孤独を感じ、こんな地獄にいる僕を救出するため、遥か上方の天空から、スルスルスルと一本の、蜘蛛の糸が下りて来やしないかと考え、しかしこの物語の主人公カンダタは、途中まで上った所で糸が切れ、結局また鬼のいる地獄に堕ちたという結末を思い出し、深く、深く、絶望的な気持ちを抱いたのです。

 以上昔やったバイトの体験談でしたが、ちょっと僕の恐怖感等を大げさに書き過ぎた気もいたしまして、要するに初のハードな肉体労働にビビっていただけなのかも知れません。けれども想像以上の過酷さと、当時僕は東京にほとんど友人がいなかったのも手伝って、不安や心細さ、そして孤独感に襲われたというのは事実であります。

 しかしこの思い出の次に蘇った記憶は、孤独な出来事という訳ではなく、この短期バイトから数年後にやった、建設現場でのバイトの事で、僕はもうある程度肉体労働に慣れており、俳優の山田辰夫にちょっと似た四十代の人と、三ヶ月間程コンビになって現場作業を行いました。(以下その人を「辰夫さん」と書く事にします)辰夫さんは若い頃ガッツ石松に憧れてボクシングを始め、プロデビューもしたそうですが、ある試合中に「自分には根性がない」とハッキリ悟ったらしくボクシングを辞め、それから料理人、理容師など職を転々としたそうで、貯金も無く独り身の自分に、ちょっとイジケている感じの人で、「現場監督が、使えねぇ奴を見るような目つきで、俺の事をよく見る」みたいに、少し被害妄想気味な事を言ったりもし、またガラ出し(現場で出たゴミを回収業者のトラックに積む、結構ハードな作業)を腰が痛いだの肩が痛いだの言って時々サボったり、前の現場で拾った(ホントはパクった?)という他人の工具を使ってたりと、尊敬に値するとはとても言い難い人でしたが、毎日の昼飯(現場近くの吉野家)は必ずおごってくれて、また給料が週払いの手渡しだったので、週に一回会社へ一緒に取りに行った際の、帰り道での飲み(会社近くの養老乃瀧)も、必ずおごってくれるという人で、店ではよく辰夫さんに、「好きなもん頼みなよ」とか、「値段とか気にすんなよ」などと言われまして、まあ吉野家と養老なので、何を頼んでもそんなにあれでしたが、そういうやや男前な一面もある人でした。飲みの際に辰夫さんが語った事で覚えているのは、「肉体労働をちゃんとやった事のない役者はだめだ」という言葉で、これは僕が芝居をやりたいという話をした時に言われたのですが、辰夫さんいわく、「肉体労働をちゃんとやった奴にしか分からない何か」があるそうで、それは「額に汗して働くという感覚」みたいものらしく、「お前はそれが分かるんだから頑張れ」みたいに言われました。励ましの言葉と受け止めましたが、「ガッツさんもそんなような事話してた」と後で言ってたので、受け売りでもあったようで、憧れのガッツ石松と同じ事を、真似して語ってみたかっただけかも知れません。

 布団にくるまって咳をしたり、鼻をジュルジュルいわせたりしながら、今回なぜか肉体労働に関係する事ばかり浮かんだので、その理由を考えてみたところ、思い当たったのは先月のあるニュースの事で、それは個人的に気に留まった、市橋容疑者に関する報道で、彼が肉体労働をしていたという話等が、強く印象に残っていたため、自分のそういう経験を、思い出したのだろうと考えました。

 テレビや新聞、雑誌等での、市橋容疑者についての色々な報道を聞いてまず感じたのは、誰もが最初に抱いたであろう、整形して逃亡する悪人のイメージが、彼が働いた建設会社の人達から聞かれた、礼儀正しく、重い荷物も自分から進んで持つような、真面目な勤務態度の男といった姿に、全く合わないという事で、また報道によれば彼の過去は、エリートの家庭に育ったとか、マンションに引きこもって暮らしていたとかいった若者で、そんな彼が寮の汚い狭い部屋に住み、肉体労働をしたという事実もとても意外でした。彼は基本的に個人行動を取り、大阪出身と嘘をついていたらしいですが、割と打ち解けていた上司には、千葉出身であるのを明かしたりしていたようで、「真面目な振りをして逃走資金を作った」と彼を理解するだけでは、何か足りないように思えたのです。「たまに暗い顔をして考え事をしていた」とも言われており、孤独を感じていたんじゃないかと思われ、決して自分の素性は明かせないため、誰に対しても本当に打ち解ける事は許されない、想像を絶する深い孤独だったろうと考えられます。そして彼は共同風呂に入浴する際、人の少ない遅い時間に一人で入り、隅の方で体を洗う事が多かったらしいのですが、額に汗して働く日々の、その汗を一人で流しながら、考え事をする暗い顔の彼を想像した時、きっと彼はとても辛かったろうと思ってしまったのです。

 こういった事を述べるのは、被害者の方を考えれば不謹慎であるかも知れません。しかしながら、もう一つ思ってしまった事があるので書きますと、それは彼は悪人といった見方の報道を読んで感じた事で、例えば雑誌の記事の見出しに、憎悪すべき対象として彼を見た、「モンスター」や「殺人鬼」といった言葉が結構使われてましたが、被害者の関係者がそういう対象として彼を見るのは当然としても、記事を書く人や記事を読んで憎悪感を抱いた人は、被害者とは直接関係がない、他人であるという意味で、「モンスター」などと言える筋合いは、本当は無いんじゃないかという事でした。雑誌を売るために刺激の強い、誇張した表現の見出しを使ったと考えれば理解出来なくはありませんが、それにしても、誇張するという書き手の自覚、あるいは誇張されたものを読んでいるという読者の自覚が、ほとんど無いように思えたのです。

 長々と書いてしまいましたが、今月風邪を引いて寝込み、以上のような事を考えておりました。彼について書いて良いものか少し迷いましたが、先月個人的に気に留まったので、正直に感じた事を、今回書いた次第です。