涼しかったり暑さがぶり返したりと、もう秋かまだ夏か、季節がハッキリ分からない感じですが、先日用事を終えての帰宅中、やや蒸し暑かったので本屋へ行って涼みつつ、立ち読みなどしながらヒマをつぶしていたところ、文庫本コーナーで「読書の秋のおススメ本」として、ピックアップされ並べられていた、芥川、川端、太宰といった、日本の大作家連の文庫が目に止まりまして、ふとその三人の経歴を見てみたところ、三人揃って、服毒、ガス吸引、心中という様な、自ら命を絶つ死に方をしていて、少しゾッとしてしまったのですが、しかし経歴の終わりがそういう風に締め括られている事に、何だか文豪っぽいとの印象を抱かなくもなく、芥川は「ボンヤリした不安」が原因だそうで、特にそう感じられまして、そしてそれと関連して思い出したのは、「人生は不可解だから俺は死ぬ」みたいな遺書を残し、滝に飛び込んだ青年の話で、だけど詳しい所は忘れてしまっていたし、ちょうどヒマだし涼しいしとの理由も加わり、そのまま本屋でその話について、詳しく調べてみる事にしました。
僕が思っていたより有名な話だったらしく、すぐに詳しく知る事が出来ました。そして思ってたより昔の話で、思ってたより若い青年によるものでした。明治三十六年、十八歳の学生が華厳の滝に身を投げていて、その遺書は「万有の真相はただ一言にてつくす。いわく不可解」と漢文調で書かれており、そしてこの事件が有名になった理由というのは、それまでの古い時代でのそういう行為は、しきたりや封建制度によって追い詰められたものだったり、またこれは今も共通でしょうが、失恋や借金や病気等、ハッキリした原因によるものだったりした訳ですが、しかしこの青年の場合それらとは無縁に、人生とは一体何なのかと考えに考えて、理解出来ずに遂に死に至ってしまったという、その時代にとって新しく、衝撃的な事件だったためとの事でした。僕がこの事件の話を断片的ですが覚えていたのは、初めて聞いた時ゾッとするものを感じたからで、それは「身投げ」という行為のせいではなく、遺書の“不可解”という言葉のせいで、つまり人生は不可解と言われたら、反論しようがない様に思え、まさに真相かも知れないと、更に思えてしまったからです。
この話に、芥川の「ボンヤリした不安」も似た所があったのか気になって、立ち読みでやや足が疲れながらも調べつつ、以前に読んだ、たしか川端の小説で、芸者遊びに興ずる主人公が、新米芸者の殊勝な振る舞いを見て心が惹かれていくのと同時に、その振る舞いに対して、“徒労”という印象を持ってしまう場面があったのをふと思い出しまして、要するにその主人公は、人生とは結局徒労じゃないかと思いながら生きている様な男なのですが、この“徒労”についても、“不可解”と同じ意味で、少しゾッとするものを読んだ時に感じていまして、もしひたむきに、「人生は徒労だ」とか「人生は不可解だ」とか考え続けたりしていたら、なぜ生きるのか分からなくなり、ブルーなモヤモヤしたものに気分が襲われ、つい死にたくなっちゃうのも、当然かも知れないと思ってしまいました。ですから余りそういう風に、考え過ぎない方が良いんじゃないかという気がします。
逆に、人生は有意義とか人間は理解可能とか考える事が出来れば、ブルーなモヤモヤなんか霧消しそうだし、迷わず悩まず、何が善で何が悪であるかもハッキリして、気分はスッキリしそうに思えます。けれどもその善悪の基準はつまるところ、主観によるものであって、どこか偏った正義感にならざるを得ず、自分と違う正義感を持った他者と衝突し、争いが起こるというのもよくあるパターンな風に思え、そう考えれば、安易にスッキリさせるのも、問題である様な気がします。もっと言えば、人生は有意義と考え過ぎる事は、ちょっと危ない思想なのかも知れません。
立ち読みした本に書いていたのですが、古代の西洋の哲学者で、人間が自分の限界を悟って、生きる希望がない場合、死を選ぶのは美徳であると説いた人がいたそうで、これについては、「人生有意義」と全く正反対の方向で、偏った考えなのではと思います。けれども僕は、死の選択は悪徳であると、ハッキリ断言出来ない気もし始めてまして、どう生きればいいのか分からない、どうして生きるのか分からない、また、生きてこれから将来どうなるのか分からないといった、分からない尽くしとの折り合いに、“死”を見出してしまうのは、筋が通っている様に感じます。しかしこれらをひっくり返して考えて、仮に、何のためにとか、どのように生きるかとかを全部正確に把握する事が出来たとしたら、それこそ自分の限界を悟る事にもなる訳で、逆に生きる希望をなくし、つまらなくなるのかも知れません。この分かりきったらつまらないという点で、“不可解”との折り合いに、“死”ではなく、“生”を見出す事も、筋の通らない考えではなく、可能なんじゃないかと思います。
やや長時間立ちっぱなしで、“生”だの“死”だのと考えて疲れ、またかなりお腹も空いてきたので、帰宅する事にしたのですが、本屋の出口へ向かう途中に、料理コーナーの棚に並べられた、「食欲の秋のおススメ本」の、グルメ雑誌に目が止まり、腹が派手な音をたてるという、分かりやすい生理現象を起こしてしまい、気分はすっかり変わってしまって、その涼しい本屋を後にしました。