『竜二』1983年日本 監督:川島透 主演:金子正次


 ストーリーを大雑把に述べますと、竜二という名の新宿のヤクザが、ヤクザとして生きていく事に、不安や虚無感みたいなものを覚え、足を洗って堅気として生きる事を決意し、かつて捨てた妻子を呼びよせ、夫はコツコツ働いて生活費を稼ぎ、妻は主婦として家庭を守るという風に、平凡な市民としての生活を開始して、幸福と思える日々がしばらくは続くも、竜二は市民社会のなかでつつましく生きる事、そしてそんな平凡な毎日が死ぬまで続いていく事に、次第に虚しさを感じ始めてしまう……という展開です。

 『竜二』はヤクザ者が登場しますが、義理人情に厚い男が活躍したり、殴り込みやドンパチがあったりといった、いわゆる「ヤクザ映画」とは明らかに一線を画しており、種類として当てはまるのは「ヒューマンドラマ」で、竜二という男の日常生活が丁寧に細かく描かれており、賑やかで派手なアクションではなく、例えば心の葛藤のような、人物の表情から滲み出るものを狙って撮るというやり方で、作られているように思われます。公開当時には「ヤクザ映画の常識を覆す名作」などと評され、「ニューウェーブ・ヤクザ映画」と呼ばれて紹介されたりしたそうです。

 この映画は主演の金子正次(当時33歳)が自ら脚本を書いて企画した自主制作映画で、公開すると好評を博し、それまで無名だった金子は映画界に名を売る事となりました。しかし公開からわずか数週間後に病(胃癌)で倒れ、急逝をしてしまったのです。この『竜二』の裏話は、映画の内容以上に有名な話だと言えまして、急逝をした事により、「金子正次」は映画に賭けた伝説の男という風な語られ方をする事が多く、むかし僕がこの映画を見ようと思ったのも、伝説の男の姿が見てみたいという動機からでありました。

 ですので初めて見た時は、「金子正次」という男はきっと、映画で一発当てて名を上げたい、野心を持つ男だったろうとか、この映画のために命を賭して、撮影に臨んだのだろうとか、勝手に想像を膨らまし、それを画面上の「竜二」に重ねて見ていた部分があったのですが、しかしこの映画で描かれるヤクザは、デカくなりたい野心を持ち、死を覚悟して戦うといった男ではなく、堅気がいいのかヤクザがいいのか、迷って悩む中途半端な男であり、「どう生きるか」がテーマの映画とも考えられ、更に言えば金子には、ほかにも書き上げた脚本がいくつかあって、次の計画も練っていたようで、その辺りを考慮してみれば、あまり「伝説の男が作った映画」みたいに見るべきじゃないという気がし、そして金子正次もそんな見られ方を望んでなさそうとも思え、裏話はなるべく忘れるよう努め、裏側ではなく表側の、『竜二』の世界だけに浸るつもりで、久し振りに鑑賞いたしました。

 以下に個人的な感想を述べますと、『竜二』には画面上に、常にすごく濃い空気が漂ってるような印象で、例えば自宅マンション、ヤクザ事務所、居酒屋、妻の実家といった屋内のシーンでは、それぞれの部屋の特有のにおいが、画面からしてきそうな程であり、なんか体臭のきつい映画という印象です。そしてそのきつい体臭みたいな、『竜二』の映画臭は、僕にとって何故か懐かしいにおいに感じ、更に言えば金子正次が演じる竜二も、見ていてどこか懐かしさを覚える男で、脚の細い痩せ型、割とボサボサの髪といったたたずまい、肩を少し揺らしながら歩く様、舎弟を睨みつけた時の表情、堅気の仕事を終えビールを飲んだ時の表情などなど、金子演じる竜二の生きる姿に、心引かれずにいられません。

 鑑賞後、残り香を愉しむ変態のように、『竜二』のにおいを愉しみながら、ビールを何本も飲み続けました。酔っ払ってしまった僕は、懐かしい男である金子正次が、自分と昔からのダチというような、変な想像をし始めて、よし、今から金子に電話をして、「ホントによかったよ。参った」と、一言感想を伝えなきゃ、などと思ったのです。俺と金子の仲だから、普通に電話してもつまらない、あいつをちょっとからかってやろうと、想像の中で彼に電話した僕は、何回も見たせいで暗記している、竜二が舎弟に電話した時の台詞を真似て、つながるやいなや、言ったのです。
「いつまで寝てんだバカヤロー、ドジリばっかりカマしやがって、ごちゃごちゃ理屈はいいんだコラ、直探して連れて来い……」








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