『BROTHER』2001年日本 監督:北野武 主演:ビートたけし
ストーリーをかなり大雑把に述べますと、ビートたけし演じるヤクザが、他の組との抗争等の事情で日本を追われ、自分の弟が留学中の米国ロサンゼルスを訪ね、弟が麻薬の売人をして小銭を稼いでいる事を知り、その取引でギャングとトラブルが起きた事をきっかけに、売人仲間の外人数人をアニキとして率い、暴力的な手段を容赦なく用いて、ロスの裏社会の中でのし上がっていこうとする、という展開です。 この映画の一番の名台詞といえば、「ファッキンジャップくらい分かるよバカヤロー」であろうと考えられ、公開当時にはたけしファンの男なら、友達や家族等の前で、あるいは独りひっそりと、この台詞を言うシーンのたけしを、間違いなく物真似したはずであり、実は僕もその一人(ひっそり真似した方です)で、つまり僕もファンの一員でして、『オレたちひょうきん族』位の頃から、ずっとたけしは好きであります。 「たけしファン」、つまり「たけし好きの人々」は、その「好き」の性質が、少し特殊であるように思え、それは物事の考え方や言動にまで、たけしの影響を受けているという点で、更に「好き」が大きく膨らんでる人は、自分の生きる指針のように「たけし」を見ていて、心の中にいつも「たけし」が住んでおり、「たけしみたいになりたい」と思ったり、時折「たけしはまるで俺だ……」と思い込んだりしているはずです。「たけしの芸は、生き方の芸だ」と評されたりもしますし、僕たちファンはその生きていく過程に、引きつけられていると言えます。 『BROTHER』を改めて見て僕が感じたのは、生きるための知恵や術、あるいは気構えや覚悟の仕方など、生きていく事に対するたけし的な方法論が、ストレートに表されているという事で、ストーリーは観客の予想を裏切るように進むので、驚かされる部分もあるのですが、昔たけしのエッセイ等を読み漁り、その方法論に触れた僕にとっては、出てくる人物の行動が気持ち良く解せて、場面が展開するたび腑に落ちる思いがし、一つ一つのシーンが心というか、体にズーンと響く感じで、更には画面の中で拳銃がパン!パン!と撃たれるたびに、僕の中の奥の方にある、なんか熱いものにキュン!キュン!と響いて来るのを感じたりしながら、体ごと画面に釘付けになってしまいました。 この映画で表された、「どう生きるか」の方法論を具体的に一つ挙げれば、「保険を打つべし」で、ギャングを不意打ちするための拳銃を隠す際、隠し場所がバレたりした時に備え、二箇所に渡って隠しておくという風に表されおり、この「保険を打つ」という考え方も、たけしのエッセイで何度か読んだ事があり、「失敗した時を想定した備えがあれば、思い切った行動が取れる」といった意味で、例えば「おいらは映画でコケてもお笑いがある」との発言もこの考え方によるものだろうし、更に言えば、たけしが芸人になろうと浅草に行ったのも、「もし一生売れずに野垂れ死にしても、サラリーマンで一生終わるより、浅草の売れない芸人として死んだ方が、ロマンがある」という理由だったと記憶してます。当時たけしは死に場所として浅草を意識したとも言える訳で、このように、たけしは「どう生きるか」と、「どう死ぬか」を繋げた考えをよく述べており、『BROTHER』をそういう風に見てみれば、主人公が死に場所を探しながら、生きていく様を描いた映画だとも言えるのです。 僕がたけしに対する「好き」が最も大きく膨らんでたと言える、二十代の一時期には、夜に、たけしの出演するビデオをまず見た後、たけしのCDを聞きながら、たけしの本を読むという、名付けるなら“「たけし」な夜”を週に一度、独りで開催しておりました。今考えればそんな自分がちょっと気持ち悪い気もするし、当時と比較すれば「好き」も大分縮んだ気がします。しかしながら、当時そんな夜にビデオで見た、映画『コミック雑誌なんかいらない』における演技や、本で読んだ、「人は誰でも孤独であって、孤独の上ずみの部分で人と付き合うんだ」という言葉などなど、きっと忘れる事はないでしょう。約十年振りになりますが、“「たけし」な夜”を近いうちに、独りで開催してみようかと思いました。 |