『地獄の黙示録』1979年アメリカ 監督:フランシス・フォード・コッポラ 出演:マーロン・ブランド
                                        マーティン・シーン


 『地獄の黙示録』は戦争中のベトナムが舞台で、マーティン・シーン演じる大尉が、ある大佐を抹殺せよとの、軍の秘密指令を受けて、戦場の最前線を突き進んで行くという、極限の状況下の道中を描いた映画です。名優マーロン・ブランド演じるその大佐は、元はエリート軍人だったのですが、ベトナム戦争での活動中に、軍令に背いたり、山奥に自分の王国を勝手に作り始めたりしたために、頭のイカレた危険人物と上層部から判断され、命を狙われる事となります。大佐の登場シーンは映画の終盤のみであり、それまでは大尉が軍から渡された資料の中で、その人物像が語られるだけですが、逆にそれによって観客は想像力を刺激され、大物俳優が演じる「イカレた男」の登場を、ある意味楽しみに待ちながら、見る事になると言えます。

 この映画を初めて見た時には、まずそのテンションの高さに圧倒されました。のっけから早くもかなりのハイテンションで、ホテルの部屋で独りで酩酊しているマーティン・シーンが、ドアーズの曲が流れる中、空手かカンフー風な動きで踊り出し(しかもなぜか裸)、次第に発狂寸前みたいな状態になって、部屋にある鏡台をいきなり殴って破壊して、手を血まみれにしてのたうちまわるという、他の平凡な映画のクライマックス以上のハイテンションであり、この映画を見るにはスタミナをかなり要すると、観客は最初に覚悟せざるを得ない感じです。

 映画の中盤に、ある中佐がワーグナーの音楽にのせて村を爆撃しまくるという、映画史上に残ると言われる有名なシーンがありまして、このシーンについては好戦的に派手な演出をしている等の批判もあるようですが、この映画は戦争を賛美する映画ではもちろんなく、そして逆に反戦映画という訳でもなく、のっけから発狂寸前のイカレつつある大尉が、戦場のイカレた最前線を進み、かなりイカレた大佐に会いに行くという、“狂道中”を描いたもので、村を爆撃するド派手なそのシーンは、ド派手さによって人々や戦場の狂った様の、極めて迫力ある描写がなされていて、僕はこのシーンを改めて見て、「うわぁ……すげぇ……」と圧倒され、感動の念を禁じ得ませんでした。

 引き合いにするのが適当かは分かりませんが、この映画を見て立川談志の「狂気と冒険のない奴の表現はつまらない」という言葉を思い出しました。僕はこの映画を、狂気と冒険に満ちた映画という風に感じたのです。ちなみにコッポラ監督の奥さんがこの映画の舞台裏を撮った、『ハート・オブ・ダークネス』というドキュメンタリー映画がありまして、そこではトラブル頻発の凄絶な現場の状況を、詳しく見る事が出来ます。現場の状況もイカレていたと言えまして、コッポラ監督もマーロン・ブランドと衝突した時は、発狂寸前だったようです。こういった“予定調和”とは真逆の態度で作られた映画を見た後には、例えばいま上映している、外交官がイタリアを舞台にカッコつけてなんかするやつとか、極道だけど先生の女がケンカの真似事をするやつとか、見る気がとてもしないというか、タダ券もらっても見ないというか、たとえお金をもらえるとしても見るもんか!みたいな気持ちを、抑える事が出来なくなります。









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