『アンブレイカブル』2000年アメリカ 監督:M・ナイト・シャマラン 主演:ブルース・ウィリス


 『アンブレイカブル』は、10年前に大ヒットした『シックス・センス』や、最近であれば『ハプニング』を撮ったM・ナイト・シャマラン監督の映画です。シャマラン監督作を見ていつも思うのは、この監督は自分の映画をすごく楽しんで作ってるのだろうという事で、まずシナリオを書く時にストーリーを楽しんで考えてるような気がするし、そして例えばこの『アンブレイカブル』では、主演のブルース・ウィリスにそのタフガイなイメージに合う役を与えつつも、体を使ったアクションより、気持ちが揺れ動く“心のアクション”に力点を置いた演技をさせていますが、そういった俳優をどう生かすか等の演出面で楽しんでいると思えるし、またその奥さん役のロビン・ライト・ペンは、監督が個人的にファンだったから出演してもらったと勝手に想像すれば(なぜなら僕も個人的にファンなので)、キャスティングでもかなり楽しんでいる可能性があります。シャマラン映画には精彩があるといった印象を僕は持ってまして、それはいま述べたような監督の「楽しさ」に由来するのではと推測しております。

 『アンブレイカブル』のストーリーを前半だけ簡単に言いますと、警備員のデイヴィッド(ブルース・ウィリス)が、列車の大事故に遭ったものの、乗客の中でたった一人生き残るという経験をし、その後事故の記事を新聞で読んだ、イライジャ(サミュエル・L・ジャクソン)というコミック収集家の男と知り合い、その男から「君には、正義のヒーローや守護者といった存在になれる、特別な力があるかも知れない」みたいな事を言われ、否定しながらも気持ちが動き……という展開です。デイヴィッドは自分の日常に何となく虚しさを抱いている男で、イライジャに言われた事を疑いつつも、自分に備わっているかも知れない「特別な力」というものに、希望を抱き始めてしまいます。「毎朝目覚めの時に悲しさがある」と漏らしたデイヴィッドに向かって、「それは自分のすべき事をしていないからだ」と、イライジャがズバリと指摘するのですが、この指摘には観客の中で、「いま自分はすべき事をしているのだろうか」という疑問、更に言えば「いま自分は本当にやりたい事がやれていない」といった虚しさや悲しさ等を、これまでに感じた事のある人なら、デイヴィッド同様にドキリとしてまうはずで、デイヴィッドの切実な思いに自分のそれを重ねながら、はたして彼にヒーローになれる力があるのかどうか、しっかり見届けようという気になって、このシャマラン映画に引き込まれていくと言えます。

 話は映画から少し逸れますが、「やりたい事」に関する僕の個人的な話をすれば、僕は二十代の頃にオーディション雑誌をよく読んでいた時期がありまして、それは俳優になれるきっかけを探すため、有り体に言えば、俳優になれるうまい話はないかと探していたためで、そういう雑誌にはオーディション情報のほか、芸能プロダクションの広告も載っていて、「あなたの夢を実現しよう」とか「芸能界で羽ばたこう」みたいな宣伝文句も書かれたりしてたので、それを読んで自分の「やりたい事」が簡単にやれそうな気になって、所属がすぐに出来そうなあるプロダクションに応募しようと考えていたところ、そこの実態は僕みたいな俳優志望者から、入会費や年会費のような名目でお金をもらうのが主な目的らしく、所属させてもマネジメント活動をほぼしないプロダクションという事実を知り(応募直前に知人から「そこボッタクリ・プロダクションだよ」と言われました)、更にそういうプロダクションは他にも結構あるという事実も知り、自分の考えの甘さを教えられる経験をしました。また、オーディション雑誌関係で強く印象に残っている事がもう一つあり、それはプロダクションの社長の何人かにインタビューをする記事を読んだ時の事で、(記憶違いの可能性もありますが)たしかオフィス北野の森社長が、読者に対する言葉を求められ、「自分のやりたい事をやるというのはほぼ不可能で、世の中の人のほとんどが、やりたくない事をやりながら、必死に生きていると考えた方がいい」と、オーディション雑誌にあるまじき、シビアな発言をしてまして、これはちょっと極論じゃないかと思いながらも、“現実の厳しさ”というものを、その時教えられた気がしたのです。

 人は迷ったり気が変わったりするし、自分の本当の「やりたい事」を見付けるのは、簡単ではないようにも思えるし、また見付けているつもりの人も、そう思い込んでるだけかも知れません。そしてたとえ確信に近い感じで「これだ!」と見付けられたとしても、前述したような考えの甘さからしくじったり、現実の厳しさに立ち行かなくなったりと、色々なにかと難しそうです。けれども人は誰でも「やりたい事」や「すべき事」、「一生懸命になれる事」を、多少なりとも探し求めているはずで、僕は『アンブレイカブル』という映画には、現実的な難しさの中で人がそれらを求めていく様、あるいは求めざるを得ない人の姿が、描かれているという風に見ました。そしてこの映画についてもう一言つけ加えれば、安易に感情移入する見方をしていた観客を、思い切り突き放すようなラストシーンも、素晴らしいと思います。









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