『風の中の牝鶏』1948年日本 監督:小津安二郎 出演:田中絹代 佐野周二
僕が小津映画を初めて見たのは十代の終わり位の頃で、嫁いでゆく娘とその父親を軸にした話の映画だったような気がしますが、タイトルとストーリーはすっかり忘れてしまっており、その時の感想は確か、淡々としていて退屈だ!つまらない!というもので、途中でウトウトしたり貧乏ゆすりをしながら見てしまったような気がします。そして次に小津映画を見たのは二十代の終わり位の頃で、見ようと思った理由は確か、映画好きの人達の間によくある、「小津映画は素晴らしい」みたいな意見に迎合したくなったというか、「小津映画っていいよね〜」みたいな事を自分も語ってみたかったという、ちょっと嫌らしい理由だったのですが、その時見たのは有名な『東京物語』で、原節子が亡き夫に対する思いを正直に語るシーンなど、いくつかのシーンが心を打ってくれたので、「小津っていいよね〜」と自分も語れそうだという嬉しさも相まって、それから立て続けに小津映画を鑑賞しました。正直に言えば退屈を感じたり、「これ『東京物語』とほぼ一緒じゃん!」と思ったりした作品もありましたが、例えば『浮草』とか『お早よう』とかには、本当に「いいよね〜」と思わされ、けれども「いいよね〜」などと映画通ぶって語るのは、小津に対して失敬だ!と思わざるを得ない程、僕が打たれてしまった作品もあり、それは『風の中の牝鶏』という、今から六十年程前に撮られた映画であります。 以下にストーリーを簡単に、せっかくの古い映画なので、なるべく昭和風な歯切れ良さのある文体で、述べてみたいと思います。 ――終戦直後という時代。出征した夫の帰りを、狭い下宿部屋で幼子と待つ妻。ある日子供が高熱を出し入院する。幸い大事に至らず済むも、病院に掛かる費用を妻は工面する当てがない。やむなく妻は一度だけ体を売り、その費用を捻出する。子供が退院して数日後、復員した夫が帰ってくる。嘘をつけない気質の妻は、自分の取った行動を、夫に正直に話してしまう…… という展開です。ちょっと暗くて悲しいストーリーに思えるかも知れませんが、この映画に重苦しさはあまりありません。それに僕は暗い話をジメジメ描いたようなものや、悲しい話を感傷的に描いたようなものが苦手であり、そういった映画とは、真逆の方向性でこの『風の中の牝鶏』は作られていると思われ、だからこそ僕は感動してしまったのです。 映画の前半に、妻が病気になった子供を痛く心配するシーンがあり、ここで妻は涙を流すのですが、その描き方は、妻の悲しむ様子は撮られていても、泣く寸前までで泣き顔は撮られておらず、画面は下宿している部屋から、近所にあるカフェバーみたいな店にいきなり切り替わり、鼻歌交じりに化粧をしているホステス二人の、 「(微かに泣き声が聞こえるので)誰か泣いてやしない?」 「やめて。気持ちの悪い」 という会話で、妻の涙を表わすという風にされており、このシーンのように小津は人物の悲哀等を直接的に描くのではなく、当事者以外の人物が、他人事としてそれを語るというような、間接的な描き方をする事が多く、それによってジメジメした感じや、安易な感傷性を回避しているように思われ、更に言えば、人物にベッタリくっつく撮り方はせず、人物に踏み込み過ぎない距離感を守る撮り方をしており、そのため例えばこの映画の夫婦なら、「悲劇に登場する夫婦」というより、「とある一組の夫婦」という印象を観客は受け、そんな夫婦に問題が降りかかった様子を、観察するとでもいうような見方で、展開するシーンを追う事になると言えます。 この映画は人間関係を、「人は皆、他人同士」と捉えているような気がするのですけれども、それはニヒルで白けた態度からそうなっているのではなく、例えば前述したシーンの、下宿部屋から近所の店へのシーン展開等から感じられる、世の中には色んな人が生きているという視点、もっと言えば、人は皆(根本的なところでは)自分だけの人生をそれぞれ生きているという意味で、世の中に同等に、一人一人存在しているという視点から来ていると思えます。他の映画やドラマ等では話をいい具合に作るために、人の絆、あるいは友愛や親子愛などが、安易に利用されがちで、ただベタベタするのが絆みたいに描かれたり、愛が説教くさく語られたりする事が少なくなく、僕の場合そういうのは、嘘くさくて暑苦しくて、窮屈な人間関係だと感じてしまうのですが、それに対して『風の中の牝鶏』における人間関係は、他人だからこそ、相手の事を豊かに感じられるとでもいうような、風通しの良い“縁”みたいなものが人物同士の間にあり、そういう関係性ゆえに、終盤のシーンで夫が妻に向かって、自分の決意と夫婦愛についての考えを述べた時の言葉が、力強く響くのだろうし、更に言えば、夫のその「愛」についての言葉は、例えばH元総務相の「友愛」という言葉と比較すれば、何兆倍もの真実味が感じられるのです。そしてこれに続く、夫婦二人を撮った最終シーンは、美しいと言うほかないシーンであります。 |