『クロッシング・ガード』1995年アメリカ 監督:ショーン・ペン 主演:ジャック・ニコルソン


 「親子の絆」を題材とした映画やドラマは多数ありますが、僕はそういうものを苦手に感じるところがあって、それは見ていると押し付けがましい「親子間の強い愛情」に、何だか辟易として来たり、「親を大事にしなさい」と、説教を受けてる気分になったりするからで、親孝行な者、例えば結婚式の前夜にお父さんお母さん今まで自分を育ててくれて……などと言いながら、両親の前で感謝の涙を流すとか、結婚後にとっても可愛い孫の顔を見せてあげるとか、また両親の誕生日や父の日母の日にはプレゼントを欠かさず、たまに温泉旅行に連れて行ってあげ、風呂場で背中を流してあげたりする等の、親思いな行動を取る人なら、テレビで「親子もの」を幼いわが子と一緒に見ながら、「いいドラマだね〜」などとしんみりと言い、かたわらのわが子のおでこにチュッとかやったりするのかも知れませんけれども、僕はいま挙げたような行動をまるで取った事が無く、ついこの間も母親から、「あなたの事を思うと胃が痛くてしょうがない」と書かれたメールをもらってしまっている位、親不孝な者であり、「親子もの」の映画等から、思わず目を背けるような人間であります。

 書いて来た事と矛盾するようですが、今回述べたい僕の好きな映画『クロッシング・ガード』は、「親子関係」を題材としております。この映画は見る前に、「娘を殺された男の復讐劇らしい」といった予備知識があったので、何となく『マッドマックス』を思い浮かべてしまっていて、また監督のショーン・ペンも主演のジャック・ニコルソンも、とっても無愛想で怖い顔、親不孝な悪事をやらかしそうな顔という印象があったので、ポリスやギャングの登場するバイオレンス・クライムムービーみたいなものを何となく期待してしまっていて、まさかこの映画が親子を描いた、ちょっと地味さも感じられるものだとは思ってなく、DVDのタイトルを間違えてレンタルしたのかと、思わず確認した程です。しかしここで描かれる親子関係は、よくある「親子もの」のそれと違った、余裕の無い関係性、あるいは切れてしまった関係で、前述したような親子愛の押し付けがましさや説教くささは感じられなかったので、顔から判断して親不孝者に違いない、ショーン・ペンだからこそ、独自の角度から撮り上げる事の出来た、感銘深い異色の「親子もの」という風に僕には思われ、いつもの目を背けて逃げるような態度とは真逆の態度で鑑賞し、映画の世界に引き込まれました。

 ストーリーは、6年前に交通事故で幼い娘を失った父親(ジャック・ニコルソン)と、その事故を起こした青年(デイヴィッド・モース)を軸に展開します。青年は飲酒運転で事故を起こしており、刑務所に入れられました。父親は事故で深い心の傷を負い、それが原因で家族とうまくいかなくなって、妻や幼い息子と別れてしまい、(仕事は一応ちゃんとやりつつも)毎晩飲んだくれる日々を送っています。その事故から6年が経ち、服役を終えた青年が出所します。青年も事故を起こした事で心に傷を負っており、それを引きずりながら、両親の住む実家に身を寄せます。一方の父親は、かけがえのない娘を奪ったその青年を、殺そうとひそかに決意していて、以前から出所するのをずっと待っていました。映画のなかで描かれるのは、青年が出所した後の3日間で、その3日目の夜の、男二人のそれぞれの苦悩が合わさって昇華するようなラストシーンは、見ていてもう何と言うか、完璧だ……という感想であります。

 ラストシーンの他に、個人的に強く印象に残ったシーンがあり、それは青年とその両親が家のリビングで会話をするシーンで、青年が「自分たちを苦しめた親不孝な人間に、変わらぬ愛を注ぎ続けてもらい……」と、感謝の気持ちを朴訥に語ると、両親は「親だから無条件で、息子に愛を注ぐ」と答えます。青年はやや感情が乱れている状態ですが、親の方は冷静に、当たり前の事を言うように答えていて、ここに僕は「親子のつながり」そのものを見たように思いました。取り返しのつかない事をして追い込まれ、周囲から取り残されて行き場の無さを感じた、という風に青年の心境を想像すれば、唯一の行き場所として考えられたのが、“親元”だったのだろうと思え、そこには周囲の冷たさとは反対の、自分を迎えてくれる暖かさがあり、それはやはり「血がつながっている」としか言い様のない関係、つまり他人の関係ではなくて、親子の関係があるからと言えます。

 もちろん世の中には色んな親子がいて、それぞれ家庭の事情があるでしょうから一概には言えませんけれども、僕にはこのシーンで描かれた青年とその両親が、嘘や飾りのない「親子の姿」に見えました。というのは僕もこの青年ほどでは全くありませんが、それに近い心境になった時、“親元”を思い浮かべた事が、今まで何度かあるからです。しかしながら僕の場合、ことわざ「喉元過ぎれば熱さを忘れる」に似た言い方をすれば、「苦悩過ぎれば“親元”を忘れる」みたいな自分勝手なところもありまして、これ以上親子について語れない気もして来ました。僕は少年期、青年期と親の束縛が何よりも嫌で、親子だって別の人間じゃないかと思い続け、でも気が付くと親を頼りに思っていた事も少なからずあり、「親子関係」とは一体何なのか、よく分からないと思ってましたが、『クロッシング・ガード』をヒントにして、何か一つ理解出来たような気がします。ちなみにショーン・ペン監督の処女作『インディアン・ランナー』は、兄弟を描いた映画でして、これももう何と言うか、完璧だ……という感想でした。この尋常ではない映画についても、いつか書かせていただきます。









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