『インディアン・ランナー』1991年アメリカ 監督:ショーン・ペン 主演:デイヴィッド・モース
                                     ヴィゴ・モーテンセン


 ショーン・ペンという人を、まずどんな俳優かと考えますと、もし一言で述べるなら「アクの強い実力派俳優」であり、この「アク」とは、ヤな奴、ヒドい奴、コワい奴といった役柄と絶妙に合う、“不良性”であると思われます。そして「実力派」について推測すれば、演じる人物の核心を鋭く捕らえ、そこから直線的に、武骨に演じ切るというようなやり方で、迫真の演技と呼ばれたりする評価を得ているような気がします。感覚を研ぎ澄まして演じている印象で、演技に工夫を施して、器用に人物をこしらえるタイプではなく、もしそんなタイプの俳優がそばにいたなら、きっと不良のショーンはそいつに向かって、ガンを飛ばしながら掠れた声で「ヘイ……ユー……」と声を掛け、いきなり顔を殴り付け、倒れて鼻血まみれのそいつに「ブッ!」と、唾を吐き掛けるみたいな、そんなイメージが浮かびます。

 ですのでショーン・ペンが映画を撮ったというのを聞いた時、正直あんな「役者バカ」らしき人に、監督業がやれるのかと疑問を持ったり、また僕は不良のショーンのファンなので、もし在り来りに愛や感動等がテーマの、行儀の良い映画を撮っていたとしたら、そんなショーンなんか見たくなかった……と思う事になると懸念したりしましたが、監督作品を実際に見たところ、その疑問や懸念は全くの見当違いだったと分かりました。彼は自分の監督作に出演はしないので、俳優での姿は見れませんが、それにもかかわらず「ショーン・ペン」を、今まで以上に感じまして、それは「アク」の部分だけでなく、アクが含まれていた元々の存在である「ショーン・ペン」に、触れる事が出来たように思えたからです。彼の本当の実力、そして魅力が、画面にみなぎっていると感じました。

 ショーン・ペン監督の処女作である『インディアン・ランナー』について述べます。60年代後半のアメリカの田舎町が舞台で、警察官の男(デイヴィッド・モース)と不良青年(ヴィゴ・モーテンセン)という兄弟を描いた映画です。分かりやすく解説するなら「真面目で利口な兄と、不真面目でバカな弟の衝突が描かれる」となりまして、生きて行くうえで、兄は社会とうまく折り合いをつける事が出来ますが、弟は全くそれが出来ません。また自らの家庭においては、妻と幼い我が子を愛し、それを大切にする兄に反して、弟は妊娠中の恋人と結婚するも、家族に背を向けるような行動を取ります。「もうこれ以上バカはよせ」と言う兄に向かって、弟は「バカとは縁が切れない」とか「バカはどこでもついて来る」などと答えたりし、二人には大きな相違があると言えます。けれどもかと言って、彼らは憎み合っている訳ではなく、少なくとも兄の方は「兄弟の絆」を強く感じており、弟の方も兄を慕っている部分が確かにあって、兄は自分なら、「バカ」から弟を引き離せると信じ、懸命に「バカ」からの救出を試みます。ここでの「バカ」が意味するものは「不良の道」でありますが、更に言えば、人を不良の道へと追い込んだり、あるいは誘ったりする、世の中にジワリと存在している、「矛盾と混沌の闇」であると考えられます。

 兄は正義感の強い真っ当な人間と言えますが、ただそれだけの人物ではなく、そして弟を頭から否定している訳でもなく、彼も自分なりに世の中の矛盾等に悩んだり苦しんだりしており、それでも前向きに自分の人生を築こうと、「生きる事」に取り組んでいる人間で、弟に「そっち(不良の道)じゃなくてこっち(自分と同じ道)へ来い」と、熱心に伝え続けます。それに弟は影響され、いったん更正するのですが、自分の妻がいよいよ出産という大事な日に、付き添って行った病院から無言でふらりと外へ出て、逃げるように不良中年(デニス・ホッパー)の経営する酒場へ行き、飲んだくれてしまいます。酒場へと追って来た兄に、すぐに戻れと命じられますが、頑なに拒んで口論となります。お互い一歩も引かない衝突が起き、兄は「矛盾と混沌の闇」に呑まれる瀬戸際の弟を救おうと、身を賭す勢いで彼にぶつかって行きますが、酒場から連れ出す事は出来ず、兄弟共に傷つき合ってしまうのです。

 ショーン・ペンがこの映画を撮る際に、“矛盾”が大きなテーマとしてあったと僕は推測してまして、まず世の中の矛盾を強く意識していると思えるし、それから兄的人間と弟的人間という、矛盾する二人がショーン・ペンの中に居て、その矛盾に引き裂かれた傷を抱えているとも思えます。そして特筆するべきは、映画終盤の展開で、“死”をイメージさせる暴力シーンや、“生”をイメージさせる出産シーン等が、入り交じった連続には、こんなに“矛盾”を力一杯に描き切ったものを、僕は初めて見たという衝撃で、特筆すべきと書きましたが、もう言葉を失ったとしか、書く事が出来ません。

 以上『インディアン・ランナー』について述べました。正直見ていてよく分からない点(インディアン関係の知識が必要なのかも……)も少しあったのですが、そんな事気にならないというか、それを含めて全て納得出来たのは、ショーン・ペンの思いが隅々まで、ビッチリ詰まった映画であり、彼らしく手を抜かない、やはり武骨であった撮り方に、感動したからという理由であります。









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