2005.5 |
ひところ世間、特に放送メディアを騒がせた、放送メディアの買収劇は、新聞風に言うと玉虫色の決着ということで、劇はおしまいになったそうですが、株など専門的なことはおいといて、この劇の基本的な構造は、旧態依然の体質を批判する若い者と、人の心を金で買うごとき態度を批判する古い者との対立らしく、この買収劇を観るにあたって、自分はどっちの者に感情移入し応援すべきか迷ったりしまして、むかし尾崎なんかを聴いた十代の頃の気持ちになって考えると、「金より心や愛が大切」というルールに従い、古い者の肩を持つべきでしょうが、でも尾崎の『卒業』はもうとっくに卒業したみたいな現在の自分は、心は売り買いできるというのを全く否定してしまうのも、しっくりこない気がしないでもありません。 自分や周りの人たちを参考に、お金と心について考えてみますと、例えば収入得るため毎朝満員電車に耐える自分や周りのリーマンさん、買い物では安いスーパーへ安売りの商品へ、さらにスーパーを後に百均ショップへとロープライスへ流れゆく、自分や既婚倹約型ご婦人、その他食べ放題飲み放題に勇み立ったり、時給UPにより忠誠心くすぐられたり、クーポン券期限切れに気付き涙したり……セコくなりましたので視点を変えて、特上和牛たらば伊勢海老、カリスマソムリエおすすめワイン、株主様ご招待クルージング旅行、大当たりミラクル万馬券など、ふところ具合ホッカホカだなぁみたいなのは、心も暖めてくれるだろうし、そのために心を売りたい心持ちも理解でき、すると思わず口ずさむのは尾崎ではなく浜省の、『MONEY』だったりするのです。 話はまたちょっとセコくなりますが、かつて有名新聞社の集客のためのチラシをポスト投函する短期バイトをやったとき、そのバイトは完全出来高制で、チラシによる反響が来れば報奨金により高収入、反響なければ無収入という、地味なのにギャンブル性高めの仕事で、しかし面接の際の真面目にやれば反響は来るという言葉を信じ、一週間毎日陽が昇ってから沈むまで、チラシの詰まったリュックを背負って歩いて、ポストにチラシを突っ込み続け、そして後日給料もらうため事務所へ行くと、反響ないから給料無しとアッサリ言われ、逆にサボってたんじゃないかと所長ににらまれたりして、僕が腹を立て文句を言うと、元々そういう契約だろうと更ににらまれ、所長は相撲取りみたいな大男だし、結局スゴスゴ引き下がり、トボトボ帰るその帰り道、やはりただ働きの理不尽さに、はらわた煮えくり返りだし、するとちょうどその日は朝から腹の調子が悪く腸の辺りがゴロゴロしていて、無収入による精神的ショックと煮えくり返ったはらわたが関係したのか、突然強力なゴロゴロが起こり腸内圧力が激高し、道ばたに立ち止まった僕は膝をガクガク微笑させつつ、割と大規模な大の方のオモラシをしてしまって、でもしかし、そのまま目を閉じ深呼吸をし、なんとか落ち着き取り戻し、何事もなかったかのような顔でコンビにへ行き、パンツ購入トイレで着替えズボンはごまかしと適切に処置し、そしてそのコンビにを出たときの、ある意味スッキリしたのは確かな僕の、心模様は変化していて、つまりダイナミックなオモラシショックが無収入ショックを消し飛ばしていて、また本格的な失禁は小学生の頃の夏のプールの帰り道以来という、懐かしさによる軽い胸キュンも感じつつ、どうせもらえない金のことなんかどうでもいいやと思ったら、気分はなんだか晴れ晴れしてきて、だからちょっと不適切だし下品な例かもしれませんが、お金で心が買えるとしても、人はいろいろあるわけだから、心の全部を買い占め動かせるわけではないだろうと、そんなような気もします。 少し前に読んだ本、『早わかりナルホド世界現代史』の著者の、ちょっと悦に入ったような後書きによると、「現代史は資源や市場の奪い合いによる殺戮の連続に見えるかもしれないが、実際は人々の切実な生活の積み重ねである」というのを、僕もちょっと悦に入って考え意見しますと、人間はお金のために生活すべきではなく、生活があってこそのお金であると思ったりするのですが、しかしオモラシしか引き合いにしてない僕なので、説得力は無さげです。 |