2005.8

 今年は戦後六十周年という事で、これからの時代は戦後の後という呼び方が合うのではと、ニュース番組で誰かがおっしゃってましたが、“戦後”について、僕はどう理解して何と言っていいのか分からない所があって、それはまず経験がないからですし、そして逆に思い出すのは、小中学校の毎年の、夏休みの登校日等に、平和教育のための記録写真や反戦映画を繰り返し見せられた事であり、悲惨な被災者の姿を見せられ続け、ホントに心底戦争は嫌だと思いつつ、正直その平和教育の時間というのは、もうウンザリの憂鬱であって、亡くなった人間にたかるハエやらウジとかいった様な、悲しい異常な光景を、平和のために目をそらすな直視しろと言う、先生方も異様な感じで、多分僕達の世代の大多数の人は、それが一番記憶に残る、戦争体験かもしれません。

 もちろん体験といっても、間接的に眺めただけでありますし、その他日本史のテスト勉強の際には、真珠湾攻撃や終戦の年号を、「1941いくよひととび」とか「1945ひどくよごれて」とか覚えたりしてて、ですから戦争について論じても、シックリいかない、机上の空論に近いような気がしますが、現在の日本の平和は国際情勢や、また現在に至るまでの歴史から見れば、たまたま辛うじての平和に過ぎないとの見方もある訳ですから、今回はその他人事とは言い切れない、“戦争”について、考えてみたいと思います。

 歴史の年表を見てみれば、その出来事の多くが戦争に関する事であり、その全ての戦いの中に、血を流したり、奪い合ったり、大切な人と引き裂かれたりという悲劇があったはずですが、それとは違う側面から見ると、戦争により文化が交わったり、テクノロジーが進歩したりという面もあるはずで、戦争を否定するにしろしないにしろ、今の僕達の生活環境というのは、争いの積み重ねの上に成り立っていると言えますし、もっと言えば僕達の命というのも、戦争を生き残った人々の、その連続性の上に誕生したと言えますから、そう考えれば戦争は、単純に悪なだけであると、断言出来なくなってしまいます。

 平和を愛し平和を願い、例えばコンサートかなんかで、ラブ&ピースを歌い上げ、ウットリ気持ち良く酔いしれたとしても、もしかしたらそれは何かの映画で観た様な、兵隊が軍歌を合唱した時の高揚と、陶酔という意味では同じ気もしますし、少なくとも平和平和と叫んだり踊ったりするだけでは、平和を道具に発散し、遊んでるだけかもしれません。

 もし将来に戦争が起これば、主な脅威は化学兵器、生物兵器、核兵器によるものだそうで、化学兵器は無味無臭の猛毒で、生物兵器は病原菌の感染で、目に見えず広がり次から次へと人間を殺し、また今世界中にある核兵器を合計すると、世界中の人間を数回殺し尽くせる威力を持つらしいし、これらはもう想像を絶する恐ろしさであり、本当に戦争は冗談じゃないと思います。これ以上戦争により文化が交わったりなどして、生活環境が向上するはずもないでしょうから、絶対にしてはならないと思いますが、しかしそれはこの国にいるからこその言い分かもしれず、新聞等を読めば読むほど、現在世界中には民族、国境、資源、貧困、主義主張等による問題からの対立がある事を知る訳で、この言い分だけで簡単に、解決出来そうもありません。

 今の日本は好戦的な人はごく少数でしょうけれども、六十年前に終わった戦争も、軍部の独走だけで始まったのではなく、当時の国際情勢から起こったという面もある訳ですから、これから将来の情勢で、日本もどうなるか分からないと言えてしまいます。ですから自分にとって大切な人、例えば家族、さらにその背景である国家を守るためには、戦わなければならないというのも、正当であり理解出来ます。しかし一方、これは机上の空論なので言いますと、国家と国家を分ける国境だの、さらに分ける県境だの、〜市だの〜区だの、もっと言えば会社だの家族だのという枠組みを、僕はなんだか窮屈で息苦しいと感じ続けてきた部分があって、そのせいかどうか分かりませんが、今そういった束縛から逃れていると言える様な生活を送っていまして、ハッキリ言えば、枠組みがあるから争いが起こるんだとも思っています。けれども、束縛がないからこそ満ち足りているかというとそうでもなくて、足元を支える枠組みがなければ、やはり何も築けないのではとも感じ始めてしまっていて、スッキリ迷いのない日々が、送れている訳でもありません。

 先程ラブ&ピースを小馬鹿にした様な事を少し述べましたが、ジョン・レノンの歌にある様な、国境のない世界が本当に来れば、戦争は確かに無くなるかもしれません。大切な人を守るというのが、利己的な行動に擦り替わってしまう時、憎まれたり憎んだりが始まって、争いが起こってしまうので、そうであれば国境のない、県境のない、会社や家族という制度のない、そんな世界が来れば平和が約束されるという気がします。しかしその実現性を考えれば、全くの机上の空論であって、でも空論であるからこそ、自分達を守る力を持つ、平和のために境界を無くす、この両方が上手く噛み合う、奇跡の様な方程式を組み、その解に向かって人類が進めば良いのではなどと考えましたが、式を組む糸口さえつかめませんので、途方に暮れてしまいました。