DA・BUNU
2011年 12月 |
原発推進か原発反対かと聞かれたら、僕は反対と答えますが、それは個人的な意見というよりも、事故が起きてから数ヶ月間、様々な原発関連の報道を見ているうちに、これは誰もが反対だと思わざるを得ないだろう、脱原発の世論がきっと高まる、そういう風に感じたので、当然のように反対だと思い始めた訳ですけれども、今現在、そんな世論が高まっているとは特に感じられず、「原発依存のエネルギー政策を見直そう」といった、曖昧な所に意見が落ち着いたように感じられます。僕は、原発は無くしていくに決まってると思っていたので、その曖昧さがよく理解できません。 しかし僕も反対する立場の人の意見ばかり聞き、推進する人達の意見をほとんど聞いて来なかったので、なぜ推進するのかという理由について調べてみました。中東情勢が不安定なのに、火力発電を軸に戻すとコストがかかるとか、核武装の技術や除染の技術を保ち続けるためにも必要だとか、日本は世界最先端の研究をしていて、更に今回の事故で多くの事を学んだので、より安全な原子炉ができる可能性があるなどの、色んな理由がありました。原子力発電は核の平和利用であり、世界一安全な原発を作る事は、世界に対する日本の責務だという意見もあり、それには説得力を感じました。しかしだからといって、事故が起きたら取り返しがつかないから怖い、放射性物質は恐ろしい、そういった気持ちはやはり消えないし、事故の影響で故郷を追われたりした人々の事を、無視した発言のようにも感じたので、推進に賛同する事はできませんでした。 僕は「放射能」に関する知識を、事故以前はいい加減にしか持ってなくて、水素爆発の報道を見た時、大変な事態らしいとは分かりましたが、放射能の何がどう有害なのか、はっきり分かっていませんでした。でもそれによって、不安に拍車が掛かっていたと言えます。テレビにかじりつき、「ただちに影響が出るレベルではない」等の発表で、一応の安心を得た訳ですが、この時僕は不安を解消したくて、安心できそうな情報をすぐに鵜呑みにしたように思います。そして東京から避難する人を大げさだと思ったり、メガネ、マスク、手袋等を付けた、放射線対策をした人を外で見掛けたら、冷ややかに見たりしました。けれども「ただちに影響が出ない」とは、心配する必要はないという意味では結局なかったし、事故の規模が更に拡大した場合、東京にも避難指示が出される事態もあり得たというのを後で知り、新たに衝撃を受けました。こんな一大事に、国が嘘をつくはずないと思ってましたが、本当の事を発表していなかったし、放射線対策を大げさだと思った僕の方こそ、冷ややかに見られるべきだったという事態が、あっておかしくなかったのです。 これから私達は変わらなければいけない、という意見を時々耳にします。その意見に僕は賛同で、僕の場合は第一に、情報をすぐに鵜呑みにしてしまった点を改めようと考えました。だけど更に具体的に、どう変わっていくのかと考えた時、うまく考えがまとまりません。一つ取ってみた行動として、僕はデモに参加した経験はないのですが、今回は脱原発デモに参加するべきかもしれないと思い、一度その現場へ行きました。しかしすぐに疲れたような、冷めたような気分になって、参加せずに帰ってしまいました。労働組合等色んな団体の旗が、所狭しと掲げられている異様な光景、東電や政府の悪口の書かれたプラカードやビラ、また人々が警察官に誘導されている事などに違和感を覚えてしまったからです。帰るべきではなかったのかもしれませんが、帰りたくなってしまったものは、仕方ありませんでした。 原発を将来どうしていくのかという問題から、少し話は逸れますが、今回の事故関連の報道の中で、一つ強く印象に残った話がありました。それは強制避難させられた住民の暮らす避難所に、東電の社長が謝罪に来た時の事で、非難や怒りの声を浴びながら、土下座している社長に対し、ある年配の方が、「まあ、お互い様だよ、お互い様」と笑顔で声を掛けたという話で、どういうつもりで声を掛けたのかは分からないし、「お互い様」の訳はないのですけれども、少なくとも言えるのは、自分に起こった出来事や、置かれている状況を、少し距離を置いて、引いた目で見ていなければ、そんな発言はできないという事です。僕は自分がこれからどう変わるべきかについて、まだよく分からないので考え続けるしかありませんが、この年配の方の態度から、まず一つ学びたいと思います。 |
2011年 5月 |
「国難」という言葉が真実味を帯びて迫ってきたのは、生まれて初めての経験でした。日常の、当たり前だと思っていた快適な生活が、こんなに壊れやすいものだったのかと、感じざるを得ませんでした。本当にこれは現実なのかと、ぼんやりしてしまう事もありまして、それは僕に限らず多くの人が、そうだったのじゃないかと思います。 あれから二ヶ月と少しが過ぎました。自粛ムードが一時期ありましたが、過度の自粛は経済の停滞を招くし、今まで通り消費する方が、被災地への援助にもつながる、といった考え方が浸透しているようで、僕が住む東京は、節電の影響はありますが、震災以前よりも活気がなくなったとは特に感じません。「がんばろう、日本」「ひとつになろう、日本」というような言葉が、テレビや店先の看板等で多く使われ、復興に前向きに取り組もうという姿勢を見る事が出来ます。 日本人についてある雑誌では「器用で我慢強く、向上心旺盛な勤勉な国民」という風に評してあり、また日本という国については「絶えず地震や台風の危険にさらされてきた国で、何度も苦難に耐える事を運命づけられた国」と書き、だからこそ日本人には「この苦難も乗り越えられる強さがある」と述べておりました。こういった言葉も、復興へ向かう人々の背中を押したように感じます。 僕は今回の震災という出来事を、どういう風に解釈したら良いのか正直言って分からなくて、報道や雑誌等の記事を読みながら考えるしか出来なかったのですが、そういう状態で僕自身が問われたのは、夏に予定している芝居の公演の事でした。当初は計画停電が夏に都心でも行われるという話だったので、何らかの影響はまぬがれないと思えたからです。例えば大きな余震が東京で起きて、中止せざるを得ない状況になったらすごく残念だと思い、言い換えれば、やれる状況にあるならば、必ずやろうと思っていました。震災に立ち向かっている、原発の作業員や自衛隊やレスキュー隊の方々と同じように、と書くのはおこがましいし、立場が大きく違いますけれども、自分なりに震災に立ち向かうという意味でも、公演を打つ事は間違っていないと思えたのです。 いま世間には、復興ムードが漂い始めた気がします。しかしひとつ引っ掛かるのは、これも雑誌で読んだ、ある被災者の方を取材した記事の事で、その内容は「これまでの人生で積み上げてきたものが一瞬のうちに破壊され、社会に広がる復興という名の下に、それらが跡形もなく持ち去られてしまう」といったものでした。世の中の「一刻も早く復興を」という空気というか、その速度に、ついていけるはずのない方も、多くいらっしゃるに違いありません。 テレビではよく、被災者を励ます芸能人の姿が流れていました。ある芸能人は、「偽善だと言われようが、みんなで一致団結して、被災地をとにかく応援する」と話していました。その考え方は正しいと思います。正しいのですが、僕が考えてしまったのは、もし仮に自分が被災していて、悲しみのなかにいると想像したなら、「がんばろう」「ひとつになろう」「元気を出そう」とか、軽々しく口にして欲しくないと思うんじゃないか、という事でした。自分が苦しんでいる時に、そちら側の都合いいタイミングで、きれいごとのような言葉を掛けられるのは、僕は嫌です。芸能人が励ましに行っても、全員が励まされる訳ではなくて、人によって、励まされる、という事だろうと思いました。 夏の公演台本の、後半部分を書いている時に地震が発生したのですが、それから一週間位は台本を書く手が止まりました。震災によって、自分を含めた世の中の人々の考え方や感じ方が、大きく揺さぶられたような気がしたのがその理由です。少し冷静になってから、元にあった構想通り、書き進める事を決めましたが、今までの考え方や感じ方、また生き方を、一度見直してみる事は、必要であるようにも感じました。たった二ヶ月前の事なのに、最近の出来事という気が何故かしません。東京は非常事態という程ではありませんでしたが、非日常的な状況に、数日間あったと思います。何か大変な事に直面した時にどう行動するか、という所に、その人の本性が見えるのだと思いますが、その非日常的な数日間、少しぼんやりしながら、他人の困難を考える人の姿、逆に自分の事ばかり考える人の姿を、僕は見た気がします。色々と考えさせられる出来事が起きたので、これからも考え続けていこうと思っています。 |
2011年 1月 |
僕が中学高校の頃、何だか眠れない夜には枕の近くに小型ラジオを置いて、寝そべって深夜放送を聴いたりしていました。オールナイトニッポンの一部が確か、中島みゆき、とんねるず、キョンキョン、ビートたけし、サンプラザ中野、といった面々の時代です。そうやって気分転換というか、現実逃避をしていた訳ですが、現在そういう、現実逃避みたいな事をしたい気分になった夜には、YouTubeで80年代、つまり僕が中学高校の頃にやっていたテレビ番組を、酒を飲みながらよく見ております。動画の下のコメント欄には「あの頃は良かった…」「いまこんな芸人いないよね…」「ホンモノの歌ってこういうのだよ…」などの、昔を賛美し今を否定するような事が多く書いてあり、僕も酔っ払いながら共感してたりするのですが、ふと思ったのは、そういうコメントをみんな書いてるという事は、みんな今の時代に不満を感じているに違いない、更に推測すれば、現在あんまり幸せじゃなくて、あの頃は良かったと、そのつらい気持ちをぶつけているんじゃないか、そういう風に考えました。ほとんど悪口みたいになってるコメントを見た際には、余計にそう感じます。話は少し変わりますが、YouTubeのコメントのような、ネット世界における匿名でのコメントには、明らかな悪口が結構ありますし、また新聞やテレビニュースでも、「管政権またも稚拙外交」みたいに、政府を悪く言う見出しをつけてるものが割とあります。もちろん独裁国家みたいに、政府の悪口を禁じられるのは反対だし、悪口を肴にお酒を飲むのというのは、とっても楽しかったりしますけれども、どうもなんか最近ちょっと、みんな悪口ばっかり言ってる、みたいな気もして、最近の悪口の種類を考えれば、上から目線的なものが多く、それはおそらく誰かを見下したいという気持ちの表れで、しかしそれはその人の性格の悪さというよりも、多分その人が日常生活で溜め込んだウップンを、誰かを見下してちょっと発散しているという事かも知れません。例えばニュースサイトでの、「政治家辞めろ!」「この売国奴!」といったコメントの裏側にあるものは、ウックツしてモヤモヤしている気持ちなのではと思うので、今回考えてみたいのは、みんな匿名で悪口ばっかり言ってけしからん、という事ではなく、僕たちをウックツさせるもの、言い換えれば、僕たちを幸せじゃなくさせる、抑圧するものが現在あるとすれば、それは何なのか、についてであります。 とりあえずまず、「幸せ」について考えてみたいと思います。一般的な幸せをイメージするものとして、僕が最初に思い浮かんだのは、CM等でよく見るような、「夫婦と子供の仲良し家族」の姿です。例えば洗剤のCMなんかでは、奥さんがその洗剤で洗ったタオルやシャツに、旦那が顔を埋めて匂いを嗅ぎながら、夫婦愛を感じていたり、洗い立てのシーツの上を、子供がケラケラ笑いながら転々としてたりして、能天気で幸せそうです。CM上の家族に感情移入するのはおかしな話と、承知でこの家族の話を膨らましますと、この仲良し核家族にも、悩みが全くないはずはありません。夫は、タオルを嗅いで愛を感じるという安上がりな行為から判断して、何となくバリバリ仕事が出来るタイプじゃなさそうです。会社ではあまり成果を上げられていないかも知れません。お前は努力の足りない奴だと、上司からよく叱られている可能性もあります。不況の折、会社の業績も芳しくなく、リストラされない保証もないし、家族を養うためにも頑張らなきゃいけない、少しでも結果を出して、会社に認められなければと、毎日遅くまでサービス残業もいとわずに、働いているというケースも考えられます。つまり生活のため、生活が犠牲になっているというケースです。一方の妻は、働き詰めの夫の体を心配しながらも、夫はストレスが溜まっているのか、酔った際などたまに自分にきつく当たる事があり、そんな時は夫にちょっと嫌気が差しつつも、仕事で疲れてるんだろうと我慢して、そして考えるのは子供の事で、今は厳しい世の中だから、そこで生き残る人間に育てなきゃいけない、「仕事があるだけでありがたい」とか言う人もいるし、以前ニュースで見たような貧困層の人たちとかは、やっぱり努力を怠った自業自得な部分があったろうから、うちの子がそうならないために、例えばテレビでスポーツ観戦を一緒にした際には、努力や勝つ事の大切さを子供に伝えるとか、そういった教育をしていこう、そうしなきゃこの子は将来不幸になる、そんなような事を日々、考えているかも知れません。 一方の子供は、物心がついて義務教育を受け始め、学年が上がっていくにつれ、どこか息苦しさを感じ出す事が想定されます。親や先生、あるいはテレビの中の誰かから、今は厳しい時代なので、頑張らなきゃダメな人間になるとかよく言われ、更にこんな時代だからこそ、頑張りがいがあるのだよとか、もし頑張らず不幸になったら、それは自分の責任なんだよとか、勝手な事や、脅すような事も言われたりし、しかしたまに入学式のような場において、「あなたたちには無限の可能性がある」みたいに言われたりもし、でもそう言う大人が生活に追われてるようにしか見えないから、嘘つくんじゃねーよと思い、将来自分に待っているものは、結局生活に追われる日々らしいと考えたら、なんだかモヤモヤして来てやる気も失せ、みんな「頑張れ!勝て!」とばっかり言って、負けた人がどうなるのかは誰も言わないし、何だかもう、うっとーしー……と、早くも子供の時代から、生きづらさを感じているのかも知れません。 以上ある家族のそれぞれの生きづらさを、ちょっと勝手な想像が入る形で考えてみました。一番心配すべきは将来のある、子供だと思われます。これからどんどん厳しい時代になるとしたら、しれつな競争を強いられて、負ける人が増え続け、勝つ人が減っていきますが、社会を担う中心となるのは、勝ち残った人々に当然なります。そしてその結果、その人たちの負担も増えるという事態になります。なので負けるにしろ勝つにしろ、生きづらくなりそうです。「努力は大事」というのは常識ですが、現在この常識が、「厳しい時代だから必死で努力しなきゃいけない」という風な形で、振りかざされ過ぎているという事が、僕たちを不幸にし、抑圧するものの正体じゃないかと僕は考えました。競争社会のある部分が肥大して、負けていく奴はどっかに消えろ、役立たずは足引っ張るな、みたいに、ひどい事を言いかねない、性格の悪い社会になりつつあるかも知れないので、結局これは、社会の仕組みの問題であるように思えて来ました。 社会の仕組みという事は、政治が関わって来ますので、ちょっと不勉強で間違った事を言うかもですが、政治の話を少しします。民主党政権は基本的に、国民の生活の安定(社会保障など)を重視して、社会の仕組みを改善しようという方針ですが、それでは社会は成長出来ない!増税反対!みんな貧乏になれって事か!などと批判され、また一番評価の低い外交面においては、弱腰外交!国を動かす責任感があるのか!と猛烈に批判されているようです。しかしここでいったん、菅政権の身になって考えれば、意見の食い違う野党や一般の人々とか、利益の衝突する(あるいは理不尽に自国の利益を要求して来る)他国とかとどう接するべきかという課題に悩まされていると言えます。解決法としては、争うか、話し合うかしかなさそうですが、もちろん争うのは良くないし、話し合ってもラチが明かない場合が多い訳で、つまり理解し合うのは困難と言えます。しかし急にここでちょっと、大げさな話をいたしますと、みんなが安易に他人に悪口を言ったりせず、相手の身になって考える事が本当に出来れば、世の中は良くなるはずだし、戦争も無くなるはずです。けれども常にどこかで戦争は起こってる訳ですし、それはやっぱりすごく難しい事に違いありません。菅政権も、色んな価値観や事情が錯綜する中で、舵を取るのはかなり難しそうです。そうなれば、争うのは×、話し合っても×なので、それ以外の、第三の道を考えざるを得ない気がします。例えばそれは、急がずに少しずつ、なし崩しみたいな感じで、社会の性格を良くしていくというやり方かも知れません。菅政権は支持率が低いようですが、もしかしたら、そういうやり方をしているのではと、最近僕は期待しております。 |
2010年 冬 |
先日ファミレスで昼下がりにランチを一人で食べていたところ、僕の右隣のテーブル席に、四十代位の中年男性三人組が「あ〜どっこいしょ」とか言いながら腰掛けました。全員スーツ姿で、スーツの色も髪型も地味だったので、近所に勤めているサラリーマンだろうと思ったのですが、その三人の、コーヒーを飲みながらの談笑の中で、ふと「兄弟分」という単語が聞こえて来たので、ランチを食べながらそっと耳を傾けると、「うちの●●さんと、練馬の●●さんって、兄弟分ですよね?」みたいな話をしており、さらに「●●の叔父貴はホントにいい男」とか、「●●さんはヤンチャし過ぎて破門になったらしい」とかいった話も出て来たので、直接質問して確かめた訳ではもちろんありませんけれども、これはヤクザの方々に違いないと思い、ちょっと緊張が走りつつも、せっかくなのでどんな会話をするのか聞いてみようと、右耳に神経を集中させました。「親戚筋」とか「幹部」とかいう単語も聞こえて来ましたが、コーヒーを飲んで一服した後、すぐに席をお立ちになったので、残念ながらじっくりと聞く事は出来ませんでした。どうやら親子兄弟の盃関係や、組の人事関係について、お話をされていたようです。 以前僕は、因縁をつけられるような形でヤクザ(らしき人物)に絡まれてしまった事が一度ありまして、その時その人に向かって、ちょっと言い返したりもしたのですが、すぐに言葉尻を捕らえられ、逆に乱暴な言葉を畳み込まれたりし、完全に言い負かされるという経験をしました。その人は手にゴルフクラブを持っていて、乱暴な言葉に合わせた絶妙なタイミングで、床にゴンッ!と打ち付けたりし、何と言うか、僕に対するプレッシャーの掛け方は、とても上手いと思わざるを得ませんでした。結局何も被害に遭わず済んだので良かったのですが、ヤクザは苦手、嫌い、関わりたくないというような気持ちを、新たに強く持ったのでした。 しかしながらその一方、先日のファミレスでもつい関心を持ってしまったように、ヤクザが気になっているような所もあって、考えてみれば昔ヤクザ映画ばっかり観てた時期もあったし、ヤクザもののコンビニコミックも何冊か持ってるし、また刺青にあるような和柄の服は結構持ってるしで、ヤクザにどこか心が引かれている部分があると、言わざるを得ない気もして来ました。僕は一体ヤクザが嫌いなのか好きなのか、よく分からなくなって来たので、この際ちゃんと「ヤクザ」について、考察をしてみる事にしました。 まずヤクザの悪い面について考えるため、悪い見方をする事にします。ヤクザを換言すれば「暴力団」であり、例えば92年に施行された暴力団対策法においては、「暴力を手段として利益を追求する集団」という風に定義されているようです。会社や店を脅して協賛金、寄付金やショバ代、用心棒代をふんだくったり、相手の弱みを握って口止め料を要求したり、イチャモンをつけて損害賠償を要求したり等の悪事を働く集団であり、その悪行により、人々の幸福や平穏な生活を破壊するとされています。礼儀正しいヤクザが例えいたとしても、その根底には人々を傷付ける悪行が存在していると考えれば、その振る舞いに騙されるべきではないし、やはりヤクザは市民の敵、社会の敵で、排除すべき存在であると言えてしまいます。 今度は逆に、ヤクザに良い面がもしあるならば、それについて考えたいので、良い見方をしてみたいと思います。映画等において、ヤクザが格好良く描かれる事がままありますが、昔は実在する組や親分、あるいは抗争等をモデルにしたヤクザ映画が多く製作されており、また最近のVシネマでも、昭和のヤクザを描いたものが一番多いので、今よりも昔の方が、きっとヤクザが輝いていたのだろうと思われます。なのでその起源を探るべく、昭和よりも更にさかのぼって、明治時代からヤクザの歴史を振り返る事にします。 近代のヤクザは渡世人(正業を持たず博打が中心の集団)と、稼業人(ガテン系の正業を営み、基本はそれでメシを食う集団)に分類されるそうで、例えば昭和中期から現在まで日本最大のヤクザであり続ける山口組は、稼業人の組だったそうです。山口組に着目しますと、元々は近代化したばかりの神戸港の、仲仕(船荷を揚げ降ろしする作業員)の組で、社会のどの部分に位置していたかと言えば、下の層、もっと言えば、底辺層、社会の辺境であり、そこに属する労働者が、這い上がって生きていくため結束をした集団です。その基盤は、仕事にあぶれた者や貧しい農村から出て来た者達が、日銭を稼ごうと港に集まって出来た共同体で、そんな共同体に起こりがちのトラブルを仲裁したり、下請という立場の労働者を代表し、元請の会社と交渉をしたりする存在でした。また下層に位置するという意味で同じ境遇の、芸人(歌手や浪曲師、コメディアン等)と結び付き、自らは興行師として、芸人と劇場や寄席の間を取り持ったりもしました。つまり山口組は、一般市民社会と下層社会を、仲介する存在だったと言える訳です。これは何も山口組に限った事ではなく、全国各地で仲仕、土工、鉱夫等の稼業人ヤクザが、それぞれの共同体から誕生し、山口組と同様の活躍をしました。そして近代化の中でそういった「組」が、下層労働者の束ね役として必要とされた部分もあって、発展を遂げていったのです。 重要なのは、ヤクザは暴力を手段として利益を追求するために、結束された訳では元々なかったという事です。もちろん暴力を辞さない集団でしたが、自らが属する、荒くれ者の多い共同体を、「顔役」として仕切る役は、荒くれを極めた人間でなければ勤まらないし、暴力を恐れない肝っ玉の持ち主でなくてはなりません。なので(金銭的)利益を追求するためではなくて、這い上がって生きるため、暴力を武器にするしかなかったのであり、それを手段に共同体内で権力を得て、顔役になって自分の旗を揚げ、その旗を社会に対して立てて行こうと、荒波に飛び込んでいったと言えます。そのスタンスは命懸けであり、彼らの本領は、騒ぎや争いといった例外的な状況で特に発揮されました。例えば米騒動が起きた時にはリーダー的役割を果たしたり、太平洋戦争直後の混乱期には、機能が麻痺した警察に代わって、秩序を維持させる組織の役割を果たしたりもしました。また山口組は戦後、神戸港の下請労働者の地位向上に尽力したりもしています。下層社会が母体のヤクザは、理不尽に味わわされる他の堅気の下層民の苦しみを、自分の苦しみとして感じ取って、命懸けで行動をしたのです。 こうやって歴史を見ていくと、ヤクザは何だかヒーローのような気もして来ます。しかし見過ごしてはならないのは、彼らにはヒーローにあるまじき一面もあったという事で、米騒動でリーダー役を務めたヤクザがいたのは確かですが、体制側に雇われて騒動鎮圧を手伝った組もあったし、騒動のどさくさに紛れて米屋とは無関係の店に強請をしたヤクザもいたし、また戦後混乱期には、旧軍需工場を襲って物資を強奪し、横流しをしたヤクザもいました。なので決してヒーローではなく、例外的状況に身を処する事が真骨頂の、堅気とは生き方が異なった、常識を踏み越えるのをいとわない、「アウトロー」であると言えます。 ヤクザをちゃんと調べるにつれ、自分は彼らが好きなのか嫌いなのか、一層分からなくなって来ました。けれどもいくつか引かれる点はあると思うので、それらを挙げてみる事にします。まず命懸けで仕事をしているという事、そして堅気な生活の日常に埋没していないという事、それから盃を交わして生まれる、親子兄弟の関係性です。「任侠道に差別はない」という言葉があるらしいのですが、ヤクザの組は、差別や貧困や疎外感に苦しんだ者が行き着きいて、受け入れられた、強い連帯の場所でもあり、そうやって結び付いたからこそ、若い衆は一家のために身を捨てる事が出来るし、親分や兄貴分は、子分や弟分を身をもって護る事が出来るのです。本当の「義理人情」とは、そういった全人格的な関係から生まれた、打算のない、自己犠牲的な、務めや心情の事であるのです。 しかしいま述べたような関係性は、主に昔のヤクザに当てはまるものであり、昔と今ではヤクザを巡る状況は、ずいぶん変わってしまっています。高度成長期以降、産業は合理化され、下層労働者の束ね役という役割は必要がなくなりました。また国が豊かになって社会全体が底上げされ、基盤であった地域、つまり下層社会の共同体が崩れ始めます。更には、戦後混乱期にヤクザの力を借りた事もあった国家権力でしたが、国の隅々まで法治体制が確立していくにつれ、増大したヤクザの力を危惧し出し、厳しい取締を開始します。ヤクザは環境の変化に対応しようと、警察の手をすり抜けながら、その基盤を地域ではなく企業社会の中の共同体に見出して、企業活動の負の部分の仕事、例えば総会屋、談合屋、倒産に絡んだ整理屋と呼ばれる仕事等を請け負い始めます。ここで見過ごしてはならないのは、ヤクザに対するニーズがあったからこそ、企業社会に食い込めたという事です。やがて訪れたバブル期には、地上げ等の企業活動の汚れ役を引き受け、膨大なお金を手にします。しかしながらそれによって、国家権力から、また一般市民から、更には取引先であったはずの企業社会からも、強い警戒心を抱かれて、ついに暴力団対策法が成立をするのです。 暴力団対策法により、警察はヤクザがやっている活動を、合法的なものでも事実上禁止出来るようになりました。最近、より厳しく改正されたらしく、例えば銀行はヤクザに対し、口座を持たせる事さえ禁じられたりしています。非合法的活動でシノギをせざるを得なくなったヤクザは、掲げていた看板を降ろし、マフィアのように地下に潜るしかない状況です。また末端組員の行動でも、トップの責任(使用者責任)を問えるようになったため、捜査の対象になりそうな、組織のためにならない不良組員が、破門や絶縁等のリストラをされたりしているそうです。なので現在ヤクザは社会全体から追い込まれ、社会からドロップアウトした者達を、昔のように受け入れる余裕が無くなってしまったらしく、「任侠道には差別がない」と、言えなくなって来ています。現在の社会の、異端なものにすぐ悪のレッテルを貼り、排除しようという風潮が、ヤクザを巡って顕著に表れているのかも知れません。 以上長くなりましたが、ヤクザについて考察いたしました。考察というか、調べた事をまとめて書いただけな気も正直します。でも結構頑張って調べたので、もしヤクザ検定という資格があるなら、初級は合格出来る自信があります。それはともかく、今回僕はこの業界の資料を大変興味深く読んだので、やはりヤクザに興味があると断言せねばなりません。しかしホントにゾッとするようなエピソードも読んだりしたので、決して絡まれたくない、やっぱり怖い、とも断言出来ます。最後に一つ思うのは、社会から追い込まれたヤクザが将来、本当に壊滅をするならば、同時に「任侠道」「義理人情」等の、「ヤクザ的な良いもの」も一緒に消滅するに違いありませんが、暴力を武器に常識を踏み込えるというような、「ヤクザ的な悪いもの」は、ヤクザとは名乗らない者達が受け継いで、無くならないだろうという事です。やはり嫌なものを安易に排除しようという風潮には、落とし穴があるような気がします。 |
2010年 秋 |
このニュースを見ていて考えてしまったのは、事故よりもそれを報道するマスメディアについてで、メディアの良くない所というか、僕が嫌だなと思う所、もっと言えば、ちょっと怖いような所でした。事故の概要は、鉱山作業員が採掘作業中に坑道が落盤して閉じ込められ、生存は絶望視されていた事故から17日後に、救助隊が使ったドリルの先端に作業員が貼ったらしい紙が発見され、そこに我々は無事だと書かれていたため生存が確認されて、他の国の政府や研究機関の支援を受けながら救助隊は救出計画を立て、事故から70日後、全員の救出に成功した、というものです。 この「美談」の舞台となった鉱山の採掘現場ですが、もともと安全面にかなり問題があったそうで、それがずっと改善されないまま以前から落盤事故を起こし続け、命を失う作業員も毎年出していたらしく、早く閉鎖するべきとも言われていた、明らかに危険な仕事現場だったようです。しかしその点はメディアはあまり強調しないというか、むしろ「苛酷な現場で働く、屈強な男たち」みたいに、「美談」の登場人物に合うように、現実を少し加工してイメージを作り出し、それを強調して発信しました。なのでメディアは「美談」を求めると同時に、自分で「美談」を作り上げていたとも言えるのです。 この救出劇を見て感動したという人にしてみれば、僕が書いている事は不謹慎だと思うのかも知れません。「命が救われた事実にお前は感動しないのか」と叱られそうな気がしますし、もっと言えば、「感動しない奴は道徳的に間違った人間だ」と変な目で見られそうな気もして来ます。しかし僕はやはり感動する事は出来なくて、それはなぜならメディアが、美談を語るような道徳的なスタンスを取りながら、自分の言う事をさりげなく信じ込ませ、意見に従わせていると思えるからです。人懐っこい優しげな顔をして、実は権力のようなものを、隠し持っているのだと考えられます。 |
2010年 春 |
僕は「お笑い」が子供の頃から好きでして、いまのお笑い芸人のなかでは、ブラックマヨネーズが何となく一番好きだと思っています。先日その好きな理由を、何となくじゃなくハッキリさせようと考えたところ、二人を見ていると何だか懐かしい気分になるから、と考えて、次にそんな気分にさせるものを、何だかではなくハッキリさせようと考えたところ、自分の中学時代を思い出すから、と考えました。僕の故郷はド田舎でもなく都会でもない地方都市で、死語を使えばツッパリが比較的多い所でした。ツッパリの話を少ししますと、校則で男子は坊主頭と決められてましたが、ツッパリはソリコミを入れたり眉を剃ったり、ちょっと角刈り風の坊主にしたり、襟足だけを肩に掛かるほど伸ばしたりといった工夫をしており、そして休み時間には水風船をたくさん投げたり、授業中に机の引き出しの中でクラッカーを鳴らしたりと、活発に過ごしておりました。また両手を組んで人差し指と中指を立て、肛門を目掛けて刺すというカンチョー攻撃を好んで行っており、これはきれいに決められる(例えば脚を開いた状態の時とかにやられたりする)と、本っ当に痛く、僕の友人が見事に決められた時、彼はケツを押さえてうずくまり、「汁が出る…汁が…」と言って苦しんでおりました。ちなみにそれを決めたツッパリの方も、少し突き指するという負傷をしておりました。僕はツッパリではありませんでしたが、そういったケンカ・コミュニケーションのようなものは嫌いではなく、休み時間には友人に、サソリ固め、卍固め等の技をかけたり(スピードに定評ありました)、デコピンやしっぺを喰らわせたり(ジャンピング・しっぺという技を発明しました。ジャンプして、着地と同時にしっぺをし、攻撃力を倍増させます)、逆にそれらを友人から喰らったりして騒いでました。話を戻しますが、僕はブラックマヨネーズを見ていると、そんな中学時代の自分や友人の事を思い出し、もっと言うと友人だけではなく、名札を忘れた生徒に対し、それを付けるべき場所である胸の乳首付近を、思い切りギュッとつねる体罰教師や(思春期の男の子の乳首には、ちょっとシコリのようなものがあって、つねられると本っ当に痛いのです)、同じ団地に住んでいた2コ上の番長(道でバッタリ会ったら必ずチワス!と元気に挨拶です)の事まで思い出します。もちろん僕の勝手な連想かも知れませんが、ブラックマヨネーズが想起させるものは、いま述べたような地方都市の泥臭いケンカ・コミュニケーションやタテ社会と、そこから生まれる“熱さ”じゃないかと考えました。 僕は父親からの遺伝なのか、酔っ払うといわゆる“熱く語る”というのをたまにやってしまい、それは自分が生きていく上で、また人と関わっていく上で、“熱さ”を求めているような所がちょっとあるからなのですが、しかしながらその一方、“熱くなさ”を求めているような所もあり、それは主に高校時代に感じていた事ですが、自分の生まれた家や土地に、束縛なんかされたくないという、つまり自由に生きたいといった思いで、縛られて息苦しい“熱さ”より、風通しの良い“熱くなさ”、つまり“自由”に、強烈に憧れてたりしておりました。そして、自分の事は自分で選択するという意味では、十代終わりから今までずっと、基本的に自由にやって来たような気がします。 その憧れの“自由”ですが、なかなか厳しい一面があって、それは自由な場所というものは、自分だけが自由な場所ではないという事で、良い例かは分かりませんが、今どんどん肩身の狭くなってる、喫煙者について考えてみますと、タバコを吸いたい誰かの自由は、タバコの煙を吸わされたくない、誰かの自由と対立し、健康という名のもとに、あるいは多数決によって、吸いたい方が敗北し、更に吸えるはずの喫煙所へと向かえば、既に人がいっぱいで居場所が無いケースもあり、このように自分の自由は誰かの自由と、すぐ衝突したり被ったりします。「タバコ」を自分のやりたい何かに置き換えて考えたら分かるように、自由にやっていくという事は、やりたい風にはやれない可能性を認め、他人の自由についても配慮しながら、行動する事かも知れません。 けれども、少しもやりたいようにやれないのなら、全く楽しくありませんし、そんな考えでは他人に潰されそうな気もします。そんなのどこが“自由”だと考えた時、自由がひしめき合ってるのであれば、その中で自分の自由を勝ち取るために、他人に上手く交渉するという手段を思い付きます。そしてその手段を取るのなら、勝負の決め手となって来るのは、コミュニケーション能力に違いありません。 そういう風に考えれば、「コミュニケーション・スキルを磨こう」みたいな本を、本屋で割と見掛けるのは、自分の自由度を上げようと、皆が思ってるからと言えるのかも知れません。またそれは都会だけに限らず、例えば地方の中学校でも、坊主頭の校則や体罰のような、自由に対する制限が減っているので、いまの社会は昔よりも、自由が尊重される社会へと、変化したんだと思われます。不自由さを味わう事が減少したと考えれば、歓迎すべき事態ですし、僕が高校の頃憧れた世界でもあります。なので自分も一刻も早く、コミュニケーション・スキルを手に入れるべきですが、それがなかなか身に付かない、そういうのに向いていないというのが、残念ながら僕でして、どうも生理的に受け付けないようです。 お笑いの話に戻りますが、いまのバラエティを見ていると、皆で番組を盛り上げるための、コミュニケーション・スキルを見せ付けられてる気分になって、チャンネルを変える事がたまにありまして、スキルを得意げに披露するタレントを見ていると、水風船を投げ付けたり、カンチョー攻撃、ジャンピング・しっぺを喰らわせたい気持ちになってしまいます。もちろん会話における反射神経の良さは認めますが、コミュニケーション主義者みたいな人を、どうしても好きになれないのです。 「完全なるコミュニケーションは、相手と全く同じ人格を持たない限り不可能だ」というのを何かの本で読んだ覚えがありますが、この名文の指摘通り、コミュニケーション・スキルの名人同士でも、ディスコミュニケーションが存在するはずです。自分の自由度を上げる交渉は、相手の自由も尊重しながら、お互いに対等な立場に立って、行わなければならないので、理不尽に考えを押し付けたり、相手を傷付けるような発言は厳禁です。しかしそんなコミュニケーションが、楽しいものなのか大いに疑問で、再びブラックマヨネーズ(特に漫才)を引き合いにすれば、俺とお前は違う、俺の方が正しい、譲れん、というやり取りを、ケンカのテンションで行っているディスコミュニケーションですが、そのディスコミュニケーションによって、豊かなコミュニケーションを行ってるように思えます。豊かに相手と通じ合うには、“自由”な場所では難しいのかも知れません。 |