2006.1 |
年末年始は観光地へ行き、都会の喧騒を離れた静かな宿で、のんびり新年を迎えるのもいいなぁと思ったりするのですが、僕のフトコロ事情が旅行なんか許さず、例えば年越しライブイベントの警備スタッフのバイトをし、大音量のなか観客に揉まれ、普段より人込みに疲れグッタリするなど、ここ数年そんな年末年始で、東京での正月に余りいい思い出はございません。 当たり前ですが東京などの都会は人が多く、狭い土地に密集していますから、皆ひしめき合いつつ生活していて、道を歩けば人や車にぶつかりそうになるし、店に入れば混んでるし、電車に乗れば満員だしで、その中でそれぞれが自分の通り道や席を確保するという、取り合いの場面の多い暮らしですから、皆どこかイライラしてしまっています。しかし縄張りを争う犬のように、相手をすぐ敵と判断し、ワンワン吠えたてケンカばかりしても暮らしていけませんので、時には取り合いをやめて相手に譲る心を持つというのが、都会で上手く暮らすコツの一つであると言えなくもありません。 けれどもやはり人間も感情の動物という面があり、僕は以前ある駅で朝のラッシュアワーに電車へ人を押し込むバイト(駅員補助業務です)をやってまして、何かのトラブルで電車が止まった際、大勢の乗客から発せられるイライラ感がホームに立っている僕を包み、ホームから逃げ改札の方へ行っても、出口に並ぶ乗客の長い列による、イラついた嫌な空気が充満していて、短気な客に文句を言われたり怒鳴られたりされ、僕も内心かなりムカつく事もありましたが、しかし皆さん先を急いで電車を利用している訳ですから、こういう場合全くイライラしない人の方が逆に不自然であるかも知れません。 しかし僕のかつての体験で、全くイライラしない人たちを見たという記憶があります。それは今月でちょうど11年前になりますが、阪神地区の大地震に遭った時の事で、僕は当時学生で、神戸市の大学に通っていました。ですが幸いに活断層付近の被害の大きい地域からは、学校も僕の下宿する家も少し離れていて、その家も瓦が落ちたり外壁が少し崩れたりしましたが、避難所で過ごした訳でもありませんので、僕は被災したというよりもただ経験したという立場に当たると思います。 その地震の体験談の一つですが、数か月経っても大きい被害を受けた区間の電車が開通せず、その復旧工事の間はずっと、代替バスを利用しなくてはいけませんでした。僕も何度か利用したのですが、バス停はいつも長い列が出来ていて、また道路も渋滞しがちで、当然電車よりかなりの移動時間を要しました。 通常どおり考えれば、列に皆イライラしながら並び、バスが到着すれば座席の奪い合いという事態も予想されますが、しかし実際に僕が見た範囲では、イラついた様子の人は一人もいなくて、座席も取り合わず譲り合おうとする場面が多く見られ、また僕もその様に自然と行動してたと記憶しています。 もちろんこれは同じ災害の経験者同士の助け合いに近いものと言えると思いますが、あの時に僕個人が感じていた事を思い起せば、列に並んでいる際に囲まれている周りの風景、例えば全壊した家屋、傾き斜めになったままのビル、大きくヒビの入った路面のアスファルトなど、そういった風景を見ていると、とてもイライラする気にはならなくて、だけどその気分は悲しいなどの感情が働いたと言うよりは、ただ無心にボンヤリ眺めてしまっている様な状態でした。それはおそらく僕に限った事ではなくて、壊れて一変した日常の風景というのは、見るほど心を空っぽにさせるという意味で、見飽きることの出来ない風景であり、つまり人々が自然の脅威に呆然とした状態だったのかも知れません。しかし呆然の一言では片付けられない、うまく説明出来ない部分もあった様に思います。 いま現在、僕が時々考えている事で、「親切」や「思いやり」について言えば、誰でもホントに相手を思っての行動は少なく、自分がいい人だと思われたら気分良いので、そのためにそう振る舞ってる事が多いんじゃないかと、ヒネくれて考え疑ったりしてしまうのですが、あの時バスを待っていた人たちに関して言えば、そう疑わせる所は全くなかったと断言でき、通常のイライラして取り合ったりする人々の姿とは、また別の姿があった訳で、その意味で、強く印象に残る、人々の新しい姿でした。 |