5月

今年は本来の予定として、6月に役者として出演する公演と、その後11月に、自分で企画して(台本も書いて)おこなう公演と、二つの予定が立っていたのですが、6月は中止にならざるを得ませんでした。

11月の方は準備として、年明けから少し台本を書き始めていましたが、今まで考えた構想や浮かんだアイデアが、
現実の世界に唐突に訪れたコロナによって、骨抜きにされたような感覚をおぼえ、しばらく書いていませんでした。

ウーバーイーツの仕事は、とまどいは最初ありつつも、
(仕事を始めるにあたって、ウーバーの運営側の人とは、メールのやり取りをしただけで、一度も会っていません。こんなバイトは初めてです…)
外に出ることで、沈みがちな気分は紛れ、仕事もコツをつかんでいきました。

程よく疲れるまで仕事して帰り、夜は起きていても深酒するだけなので、早めに寝ました。
そして起床してからの早朝の時間に、台本を再び書くことにしました。
コロナ以前に持っていた構想やアイデアは、すでに生気をうしなっているし、11月も公演できるか分からない状勢なので、書いても無意味になる可能性もありますが、
それでも書きたいように思えたのは、書くことで、くもりがちな気を晴らし、すこしでも愉しみを得たいからでした。

ウーバーイーツの仕事を少し詳しく言うと、まずスマホにダウンロードしたウーバーの(ドライバー用)アプリをオンラインにし、自転車に乗って街に出て、飲食店からの配達依頼を待ちます。
そして依頼が入ると、スマホからチャイムが鳴り、店の場所を画面で確認して、商品を取りにいき、それから注文者の家まで配達します。
依頼がないと仕事にならないので、なかなかこない時は、道の端に自転車を止め、辛抱強く待機するのですが、
その待機時間に僕はよく、スマホでネットのコロナ関連記事を読んでいました。

「自粛とはみずからの判断で行うことで、自粛しないパチンコ店の名前公表等は、強制的に慎ませるという強粛である。過剰な正義感は人を追い詰め、差別を生む」
「生活苦による自殺も病死と同じく命の問題。感染拡大を抑制さえすれば、社会は平和なのか?」
といった、過度の自粛に反対する意見がある一方、

「例えばイスラエルでは、要請ではなく命令として、外出禁止令が発表された。自宅から100メートル圏外へ外出すると罰金が科される。調査によると国民の4割は、もっと厳しくしても良いと考えている。日本のコロナ対策はなまぬるい」
といった意見もありました。

もし、どちらの方が正しくて、この先どうしたら良いと、お前は思うかと問われても、途方に暮れるほかありません。どちらの意見も、間違ってはないように思えるからです。

僕がそうやって読んだ記事のなかで、いちばん印象に残ったのは、絵本作家の五味太郎氏のインタビューでした(withnews 2020/04/06)。最初に、「不安定」との向き合い方について尋ねられるのですが、

「まず聞くけど、逆にその前は安定してた? コロナ禍じゃなかったときは、居心地がよかった?」という、逆質問から始まるインタビューです。
とくに印象的だった言葉を、以下に引用します。

こういう時っていつも「早く元に戻ればいい」って言われがちだけど、じゃあ戻ったその当時って本当に充実してたの? 本当にコロナ前に戻りたい?と問うてみたい。戻すってことは、子どもに失礼な形の学校や社会に戻すってことだから。 

学校に行きたくない子どもに親が行きなさいというのは、子どもが「お風呂が熱い」って言ってるのに、親が「肩までつかって100まで数えなさい」というようなもので、人類は進化してるはずなのに、いまだに根拠のない根性論が……。(略)
熱さに意味はないけど、この熱さに耐えれば卒業証書、修了証書、そして退職金……と続いていく。で、疲れちゃって、考えるのをやめていく。考えるのって面白いはずなのに。それを繰り返してるうちに、自分が何がしたいかわからなくなっちゃってる。誰かに見てもらって点数つけてもらって休みもお金ももらう。おれは「学校化社会」って名づけたよ。

こうなると、世界の全体像は誰もわからない。でも、これ〔コロナ:引用者注〕をなかったことにはできないんだから、乗りこえていくというより、前よりよくしましょうよ。


<6月以降に続く>