DA・BUNU


2009年12月 

 今年は12月に入っても例年より寒さを感じず、また暖冬と天気予報でも確か聞いたので、割と薄着で過ごしてましたが、やはり季節の変わり目に油断は禁物であったのか、ある朝起きたら風邪の兆候と思われる、喉の痛みがあったので、今までの薄着を改めて、ヒートテックのインナーを着たりして、厚着でその日外出したところ、日中歩いたり自転車に乗ったりしているうち、やはりそんなに低くない気温と、ヒートテックの効果により、身体がポッカポカになって多量の汗を掻き、ヒートテックを脱いだところ、今度はそれまでに掻いた汗で、急激に身体の熱を奪われ、少し寒気を覚えたりしつつも、またインナーを着るのも面倒臭いと、そのままその日過ごした結果、夕方頃からダルくなり、夜になって発熱し、完全に風邪を引きました。ヒートテックの思わぬ陥穽にはまってしまった、体調管理ミスであります。

 病気により一人部屋で寝込んだりしていると、その体調不良により気分も何だか落ち込んで、孤独感をしみじみ味わったりいたします。今回の風邪っぴきによる寝込みのさなかにも、そういった孤独が訪れて、ロンリー気分にふと蘇った僕の記憶は、十数年前にやった夜勤の短期バイトの事で、その思い出を書きますと、まず前もって指定されていた、大田区のある駅前に夕方行くと、ボロい小型バスがやって来て、早くこれに乗れと言われ、乗車すると車内には、僕と同じく動きやすく汚れてもよい服装をした、無口で無表情な男達が二十人位いて、発車してからも誰も一言も言葉を発さず、その沈黙と日が沈んで次第に暗くなる車窓からの眺めに、不安と心細さがあおられて、「一体どこへ連れて行かれるのか」と恐怖を感じ、逃げたい帰りたいと思い始め、しかしバスは海がある方向へとひたすら進み、到着したのは人気のない埋立地にある、でっかいプレハブみたいな作業場で、場内はベルトコンベアーが張り巡らされていて、段ボールやボール紙やエアキャップ(プチプチのビニールシート)等で梱包された色んな荷物が、引っ切りなしにコンベアーを流れており、その流れをさかのぼって見てみれば、数台のトラックの姿があり、そのそれぞれの荷台には、鬼のような形相をして暴れている様子のトラック野郎がいて、でもよく見たら暴れている訳ではなく、単に荷下ろしをやっていただけですが、しかし暴れているとの表現も言い過ぎではなく、トラックの荷台の大量の荷物を、コンベアーに流すため下ろしていると言うよりも、荷台からコンベアーの近くを目掛けて、勢いよく投げ捨てている感じで、恐ろしい事に僕が命じられた仕事は、その荷下ろしの補助作業、つまり乱暴に投げられた荷物を、きちんとコンベアーに乗せる作業で、指定されたトラックの荷台付近へ行き、慣れない仕事に手こずりモタモタ作業していると、トラック鬼野郎が怒りに猛り狂って吠え、また作業員を監視するつもりなのか、少し高い位置に見張り台のような所があって、そこにいる仁王立ちした一匹の鬼男にも、マイク越しに罵声を浴びせられ、まるで地獄の真っ只中にいるような気がして来て、泣きそうになるのを耐えながら働き、やがて訪れた束の間の休憩中は、作業場の隅っこに一人うずくまって小さくなり、ひしひしと孤独を感じ、こんな地獄にいる僕を救出するため、遥か上方の天空から、スルスルスルと一本の、蜘蛛の糸が下りて来やしないかと考え、しかしこの物語の主人公カンダタは、途中まで上った所で糸が切れ、結局また鬼のいる地獄に堕ちたという結末を思い出し、深く、深く、絶望的な気持ちを抱いたのです。

 以上昔やったバイトの体験談でしたが、ちょっと僕の恐怖感等を大げさに書き過ぎた気もいたしまして、要するに初のハードな肉体労働にビビっていただけなのかも知れません。けれども想像以上の過酷さと、当時僕は東京にほとんど友人がいなかったのも手伝って、不安や心細さ、そして孤独感に襲われたというのは事実であります。

 しかしこの思い出の次に蘇った記憶は、孤独な出来事という訳ではなく、この短期バイトから数年後にやった、建設現場でのバイトの事で、僕はもうある程度肉体労働に慣れており、俳優の山田辰夫にちょっと似た四十代の人と、三ヶ月間程コンビになって現場作業を行いました。(以下その人を「辰夫さん」と書く事にします)辰夫さんは若い頃ガッツ石松に憧れてボクシングを始め、プロデビューもしたそうですが、ある試合中に「自分には根性がない」とハッキリ悟ったらしくボクシングを辞め、それから料理人、理容師など職を転々としたそうで、貯金も無く独り身の自分に、ちょっとイジケている感じの人で、「現場監督が、使えねぇ奴を見るような目つきで、俺の事をよく見る」みたいに、少し被害妄想気味な事を言ったりもし、またガラ出し(現場で出たゴミを回収業者のトラックに積む、結構ハードな作業)を腰が痛いだの肩が痛いだの言って時々サボったり、前の現場で拾った(ホントはパクった?)という他人の工具を使ってたりと、尊敬に値するとはとても言い難い人でしたが、毎日の昼飯(現場近くの吉野家)は必ずおごってくれて、また給料が週払いの手渡しだったので、週に一回会社へ一緒に取りに行った際の、帰り道での飲み(会社近くの養老乃瀧)も、必ずおごってくれるという人で、店ではよく辰夫さんに、「好きなもん頼みなよ」とか、「値段とか気にすんなよ」などと言われまして、まあ吉野家と養老なので、何を頼んでもそんなにあれでしたが、そういうやや男前な一面もある人でした。飲みの際に辰夫さんが語った事で覚えているのは、「肉体労働をちゃんとやった事のない役者はだめだ」という言葉で、これは僕が芝居をやりたいという話をした時に言われたのですが、辰夫さんいわく、「肉体労働をちゃんとやった奴にしか分からない何か」があるそうで、それは「額に汗して働くという感覚」みたいものらしく、「お前はそれが分かるんだから頑張れ」みたいに言われました。励ましの言葉と受け止めましたが、「ガッツさんもそんなような事話してた」と後で言ってたので、受け売りでもあったようで、憧れのガッツ石松と同じ事を、真似して語ってみたかっただけかも知れません。

 布団にくるまって咳をしたり、鼻をジュルジュルいわせたりしながら、今回なぜか肉体労働に関係する事ばかり浮かんだので、その理由を考えてみたところ、思い当たったのは先月のあるニュースの事で、それは個人的に気に留まった、市橋容疑者に関する報道で、彼が肉体労働をしていたという話等が、強く印象に残っていたため、自分のそういう経験を、思い出したのだろうと考えました。

 テレビや新聞、雑誌等での、市橋容疑者についての色々な報道を聞いてまず感じたのは、誰もが最初に抱いたであろう、整形して逃亡する悪人のイメージが、彼が働いた建設会社の人達から聞かれた、礼儀正しく、重い荷物も自分から進んで持つような、真面目な勤務態度の男といった姿に、全く合わないという事で、また報道によれば彼の過去は、エリートの家庭に育ったとか、マンションに引きこもって暮らしていたとかいった若者で、そんな彼が寮の汚い狭い部屋に住み、肉体労働をしたという事実もとても意外でした。彼は基本的に個人行動を取り、大阪出身と嘘をついていたらしいですが、割と打ち解けていた上司には、千葉出身であるのを明かしたりしていたようで、「真面目な振りをして逃走資金を作った」と彼を理解するだけでは、何か足りないように思えたのです。「たまに暗い顔をして考え事をしていた」とも言われており、孤独を感じていたんじゃないかと思われ、決して自分の素性は明かせないため、誰に対しても本当に打ち解ける事は許されない、想像を絶する深い孤独だったろうと考えられます。そして彼は共同風呂に入浴する際、人の少ない遅い時間に一人で入り、隅の方で体を洗う事が多かったらしいのですが、額に汗して働く日々の、その汗を一人で流しながら、考え事をする暗い顔の彼を想像した時、きっと彼はとても辛かったろうと思ってしまったのです。

 こういった事を述べるのは、被害者の方を考えれば不謹慎であるかも知れません。しかしながら、もう一つ思ってしまった事があるので書きますと、それは彼は悪人といった見方の報道を読んで感じた事で、例えば雑誌の記事の見出しに、憎悪すべき対象として彼を見た、「モンスター」や「殺人鬼」といった言葉が結構使われてましたが、被害者の関係者がそういう対象として彼を見るのは当然としても、記事を書く人や記事を読んで憎悪感を抱いた人は、被害者とは直接関係がない、他人であるという意味で、「モンスター」などと言える筋合いは、本当は無いんじゃないかという事でした。雑誌を売るために刺激の強い、誇張した表現の見出しを使ったと考えれば理解出来なくはありませんが、それにしても、誇張するという書き手の自覚、あるいは誇張されたものを読んでいるという読者の自覚が、ほとんど無いように思えたのです。

 長々と書いてしまいましたが、今月風邪を引いて寝込み、以上のような事を考えておりました。彼について書いて良いものか少し迷いましたが、先月個人的に気に留まったので、正直に感じた事を、今回書いた次第です。



2009年 秋

 先日、レンタルしたDVD数本を、返却期日に間に合わせるため深夜まで掛けて鑑賞し、そのためわずかな睡眠時間しか取れず、翌朝眠気を振り切り起床して、「しんどいな〜」という優れない気分のまま家を出て、仕事へ向かう山手線の中(AM6:30頃)、ゴツい黒人男と派手なネエちゃんを先頭とした、朝まで飲み明かしたらしき5人組がドヤドヤと渋谷で乗り込んで来て、眠気でドンヨリしている多数の乗客を構う事なく、騒がしい飲み屋で会話するレベルの声量で談笑し出し、そのうち以下のようなやりとりが始まってしまいました。
ゴツい黒人男「(変なアクセントで)あなたぁ、ヤリマンですかぁ?」
派手なネエちゃん達「ギャハハハハ!」
 原宿から代々木間、それから新宿に向かう間、この二つの台詞は繰り返し繰り返し発せられ、僕を含めた周りの乗客は、「ウ……ウザい……ウザ過ぎる」といった不快が顔に滲みました。中にはこの5人組に対して、迷惑だとビシッと注意する―→でも言う事を聞きそうな連中には見えない―→しかしやっぱり我慢ならない―→だけど注意してあのゴツい彼に殴られたりしたらどうしよう―→そうなったら戦うまでだ―→いやいや待て、勝てそうにない―→それに怪我しそう―→そして会社に遅れそう―→このまま耐えよう……みたいに葛藤した人も、もしかしたらいたのかも知れません。座席に座っていた僕は、腕を組んで目を閉じて、新宿駅に到着したなら、前夜DVDで鑑賞した、勝新太郎扮する座頭市が何故か乗り込んで来て、あの5人組をバッタバッタと、斬り捨ててくれたりしないだろうかと、夢想をしておりました。

 その日は午前中働いてから、昼休憩で食事を取りにファミレスに行ったのですが、寝不足と、電車内での不快な出来事が相まって、全く優れない気分を朝から引きずっており、余裕やおおらかさを完全に失っていたせいもあって、そのファミレスにおいては激しいイライラの連続でありました。壁を背にした僕の席の、右隣には十代らしき若いカップル、左隣には主婦らしきグループ、前方には子供とその母と祖母らしき三人がおりまして、まず若いカップルは顔をなるべく近付けるように、テーブルを挟みお互い前屈みの体勢で、ヒソヒソと小さい声量で話すのを基本としていましたが、時折の笑い声とそれに続く「ウケる〜」とかの言葉は、爆音のベルアラーム目覚まし時計レベルの声量で、その際体勢も大きくのけ反る感じの開放的なもので、たまにパン!パン!と強く手を叩いたりといった、突発性の騒音発生カップルでありました。そして左隣の主婦連は、みな運動用の服を着ており、運動用のバックを床に置いていて、ケースに入ったラケットも数本あったので、バトミントンクラブとかの仲間だろうと推測しましたが、そのバックやラケットは、他の客の通行の邪魔になるような置かれ方で、しかしそんな事には頓着せず、会話の内容をまるで店内に発表するかのレベルの声量で、誰かの悪口大会を開催しており、テーブル3台を占拠して囲み、皆でランチやスパゲティを食い散らかし、ドリンクバーやスープバーで飲み散らかし、よく見れば生ビールを飲んでるポッチャリ型主婦までいて、さらにもう一杯と追加注文する始末で、僕はビールを頼んだその主婦に、「そんなもん昼間から飲むからブクブクブクブク肥えやがるんだ」などと言って、逆に悪口を浴びせてやりたい衝動を、一生懸命に抑えました。それから両隣に耐えながら、前方の席に目をやれば、幼い子供がテーブルに、チョロQらしきミニカーをキャッキャッ言いながら走らせており、それも1台ならともかく5台位あって、それらが所狭しとテーブル上を駆け巡り、そのうち勢い余ったやつがテーブルから飛び出て床へと急降下すれば、「フギャー!」などと奇声を発し、それに対してその母と祖母は、「あ〜落ちちゃったね〜ケラケラケラ」といったリアクションで、僕は腕を組んで目を閉じて、あのミニカーを執拗に、粉々というか粉状になるまで踏ん付けて、父の位牌に灰を投げ付けた織田信長の如く、三人にその粉を投げ付けて攻撃をするという夢想をしました。イライラしながら食事を済ますと、ケータイをいじっていた右隣のカップルの女の方が、唐突にアカペラで、安直なラブソング風の最近の歌らしきものを、切ないような甘ったるいような、それでいて悪い意味で空虚を感じさせるような歌声で、2フレーズほど口ずさみ、すると男もそれに呼応して、同じ歌を同じような歌声で、口ずさみ始めたため、僕は食後の一服を決める事をやめ、伝票を持って立ち上がり、レジの方へ行きました。混んでいたので会計の順番を待ちながら、ため息をつき考えたのは、僕がまだ少年の頃に、「ファミリーレストラン」というものから感じていたのは、「家族でたまに行く、外食をする特別な場所」であり、更に言えば「ファミリーレストランへ外出=お出かけ」であり、ファミリーレストランへ行くという行為には、お出かけに付随する緊張感があったのに、今日びの客は表情も態度も、弛緩を丸出しにした者たちばかりで、なにゆえこんなに堕落したのかという事で、しかしまあ、あの頃の「ファミリーレストラン」の姿に戻れというのも無理な話、だけども言っておきたいのは、「周りの他人の事を考えましょう」で、僕は会計の後店員に、入口のドア前面に、「他人は調子に乗ったあなたの事を、クールな殺し屋みたいな目、あるいは死んだ冷凍魚よりも冷たい目で、いつも見ていると考えましょう」と書いた紙を、貼ってはどうかと提案したくなりました。しかしランチタイムの混雑で忙しそうでもあったので、やむなく自重をしたのです。

 夕方仕事が終わって帰る途中、電車が駅に着いて降りる際、降車する客を全く待たず、扉が開くやいなや強引に乗車をして来たおじさん、またプラットフォームにタンを次々と吐きまくるおじいさん等にイライラとさせられました。イライラするのにもエネルギーを消耗しますから、一日のイライラで疲れ切って帰宅した僕は、昨日あまり寝てないし、今日はタップリ睡眠時間を取り、リフレッシュしようと決めました。そしていつもよりもだいぶ早い、10時位に床に就き、布団の中で目を閉じて、都会の喧騒の中を一人、「いやな渡世だな〜」とつぶやいて歩く、座頭の市っつぁんを夢想しながら、眠りの世界へと身を委ねたのです。しかしながら次の瞬間、ピクッとなって目覚めたのは、「お前さん何か忘れてねぇかい?」と、市っつぁんに言われた気がしたからで、そう言えばその日が期日のDVDを、返却しておりませんでした。




2009年9月

 いまツタヤでは、TSUTAYAが選んだ名作洋画百本が100円でレンタル出来まして、先日ふらりと近所のツタヤに立ち寄った際、100円ぽっちで借りれるのだし、普段自分が見ないような種類のものをレンタルしようと考えて、その百本を物色し、その日は何となく精神的に疲れていたので、「癒し系」、あるいは「感動もの」と呼ばれてそうなやつを、この際借りてみようかと思い、結局『ラブ・アクチュアリー』という映画を、美人女優キーラ・ナイトレイ見たさも手伝って選択し、家で夜に鑑賞いたしました。見終えての感想は、よく出来た映画で退屈を感じなかったというものですが、何か少し違和感のようなものもあり、そしてどこか騙されたような気もして来て、映画鑑賞で癒されて、気分良く眠るという予定が狂い始め、目が冴えて来てビールを飲みだし、自分は一体この映画の、何に引っ掛かったのだろうと考えて、その結果、この映画で描かれている世界は、見た目はリアルでも中身はファンタジーであり、そしてそのファンタジーの住人は、愛とか夢とか希望とかを恥ずかしげもなく語りつつ、跳梁跋扈している連中だという、そういった印象が、この嘘つき映画め!という気持ちに、僕をさせたという風に理解しました。しかしまあ、ちょっと言い過ぎな気もして来ましたので、言い訳をさせていただくと、これは僕が酔いながら、思いっ切り主観で考えた事を述べてますので、この映画のファンの方はご勘弁ください。とにかく、僕はこの映画を見て、偽善映画め!などと思い、ますます精神的に疲れたのですが、これはやはり作品の選択ミスという意味で、自業自得であると考え、こういう愛と夢と希望主義のプロパガンダ映画ではなく、例えばホラー映画とかを、借りるべきだったと悔いたのです。

 僕の友人に、ホラーが大好きな男がいまして、特にスプラッターがたまらなく好きらしく、以前どこが良いのか尋ねたところ、「登場人物が無駄な抵抗をしたあげく、グチャッ!と殺されるのが良い」との答えで、彼はグチャッ!と殺されるその瞬間、背中にゾクゾクッと快感が走り、「イヤッホー!」と歓喜の声をあげるそうです。変態なのかも知れません。僕は彼みたいにホラーにはまっている訳ではなく、むしろ怖くて気持ち悪くて昔は苦手だったのですが、ある日たまたま『ゾンビ』を見た時に、今までの苦手意識が反転して、それ以来ホラーが「たまにどうしても見たくなる」という種類のものになり、見たい衝動に駆られた時は、楽しく鑑賞しております。

 『ゾンビ』は人々が迫り来るゾンビから逃げたり、迫り来たゾンビと戦ったり、ゾンビに取っ捕まって惨殺されたりする映画で、基本的に恐怖の対象としてゾンビが描かれてますが、例外的なシーンもあり、それは林をノロノロと彷徨するゾンビたちを、鉄砲を持った男たちが楽しそうに狙い撃つというシーンで、彼らはビールまで飲みだしたりして、完全に「ゾンビ狩り」みたいなレジャー気分であり、「恐怖のゾンビ」を描いているはずの映画の、話の展開上は必要のないオマケのようなシーンとも言え、また例えば良識を強く持つ人がこれを見たなら、ゾンビも元々は人間なのに、「ゾンビ狩り」に興じるなど極めて不謹慎で不健全であると、言われてしまいそうなシーンですが、僕の場合はこれを見た時、すがすがしい風みたいなものが、自分の中に吹き込まれたように感じたのです。ちょうどこの映画を見た頃の自分は、ちょっと精神的に疲れている時期で、特に世間にはびこり大きな顔をしている、常識的で善良ぶったものにウンザリしていたのですが、そんな僕のモヤモヤを、映画に描かれたピュアな無情が、一瞬完全に消し飛ばしてくれました。画面の中に“自由”を感じる事が出来たし、更に言えば、この映画に関わった人たちのように、世間では不真面目と言われるに違いない事を、大真面目にやっている人たちがいるという事実に、感動し、癒されたような気がしたのです。

 愛と夢と希望主義の映画、あるいは歌などを真面目にやる人が、自分のやる事は嘘っぱちじゃないのかという疑問や、偽善かも知れないという自覚を、全く持っていないとしたら、ホラー映画の怖さとはまた別の意味で、とっても怖いように思えます……みたいな事を、前述のホラー好きの友人と語りたくなって来て、『ラブ・アクチュアリー』を見た明くる日に、ちょうど彼と会ったので、「『ゾンビ』っていいよね〜」とさっそく話を振りました。しかし「何を今更……」とでも言いたげな、呆れたような、ムッとしたような顔をされてしまい、結局語りたかった事は語れぬまま、彼お薦めのマニアックなスプラッター映画のタイトルを、「そこまで俺ホラーは……」と思いつつも、いくつか教わる羽目になりました。彼はその日もレンタルショップで、ホラーを3本(あと気分転換用にエロを1本)借りていたそうなので、きっと夜には「イヤッホー!
」と、歓喜の声を上げたのでしょう。



2009年 夏

 寝苦しい夏ですが、僕はクーラーを掛けずに寝ております。これはクーラーが体質的に合わないという訳ではなく、掛けたくても掛けれない、つまり、部屋にクーラーが無いからで、熱帯夜が来るたびに、今年こそ夏になる前に、やはり購入しておくべきだったと悔い、「あづいよー」と輾転とし、身悶えたりしております。今の部屋に越してから十年程になりますが、ずっとそんな夏を過ごしており、一昨年の猛暑のある夜には、暑さのあまり扇風機に顔を近付けて、風も「強風」に設定して寝ていたところ、半開きの口の中に風が入ってカラカラに乾き、うまく呼吸が出来なくなり、激しい息苦しさで目が覚めて、更に多量の汗を掻いていたため、軽い脱水症状を引き起こし、「み……みず……」と呻きながら、水道までいざり寄った思い出があります。あわや一巻の終わりでありました。部屋にクーラーの無い皆さん、扇風機には注意しましょう。そして水分を摂りながら眠りましょう。あと冷風機や涼風機はお薦めしません。結果的に部屋の温度や湿度が上がります。話が少し逸れましたので戻します。暑さによる寝苦しさにもかかわらず、僕がクーラーを買わない理由を述べれば、高い買い物をする位なら、エアコン付きの部屋に引っ越した方がいいんじゃないかと思えるからで、なのに何故自分は引っ越さないのかと考えれば、住み慣れた部屋だし、駅から近いし、電車で都心まですぐだし……と色々考えられますが、一番大きな理由を正直に言えば、「引っ越しするのが面倒臭かったから」であります。

 以前から自覚はありましたが、僕は「面倒臭がり屋」でありまして、具体的な例として、押し入れに夏用のゴザがあるにもかかわらず、いまだに冬用のホットカーペットが畳の上に敷きっぱなしだとか、電池切れしたテレビのリモコンを、数年に渡り電池交換していないとか、色々と挙げる事が出来ます。しかしこんな僕ですが、半年程前から新しいバイトを、バイト掛け持ちという面倒臭い形で始めており、これはもちろん好きでそんな事を始めた訳ではなく、経済的な事情によるもので、いま述べたカーペットやリモコン等とは違う、避けられなかった「面倒臭さ」なので、「臭い、臭い」と鼻をつまみながら、“面倒”との取り組み方について、考えざるを得ない日々を送ったと言えます。

 まず面倒臭かったのは仕事探しですが、なるべく面倒だと感じずに済むようなやり方で臨みました。やってみたい仕事をジックリ考えるとか、求人誌を買うとかの手間は省き、家のパソコンで仕事紹介のサイトを見て、通勤を楽にするために、徒歩で通えるような距離の職場を探し、見付けるとすぐに応募して、そして急ぐように面接を受け、結果として採用の連絡をもらう事が出来ました。しかしながら職種は「接客・販売業」で、早く決めるのを優先していて深く考えずにいたのですが、僕は「接客」というものがかなり苦手であって、面倒臭さからスピーディーな仕事探しをしたせいで、自分の不得手な事をする羽目になったという、最終的な結果として、大変面倒な事になったという気がし、だけど新たに仕事探しをするというのも、これまた大変面倒と思え、結局不安を抱えつつ、その仕事を始める事にしたのです。

 僕が接客に関して特に苦手と思うのは、勤務中の「笑顔の強制」であり、だいぶ前に短期バイトで飲食店の接客をした事があるのですが、その時に店長から「もっと元気に笑顔で!」と頻繁に注意され、しかしぎこちない笑顔しか出来なかった僕は、「『お客様は神様です』って言葉知らないの?」とか「うちは芸能人とかも来る店なんだからさ〜」などと小言を言われながら、お叱りを受けた経験があります(その芸能人は当時バラドルと呼ばれてた方で、個人的には面白くもなく可愛くもなくという印象でした)。接客ではありませんが、「笑顔の強制」に苦しめられた経験は他にもあり、むかし僕は役者の養成所に通っていて、そのカリキュラムの中にダンスのレッスンがあったのですが、ダンスの講師からも「もっと元気に笑顔で!」と注意されており、それでも伏し目がちな暗い顔のまま、しかもなるべく隅の方で踊ろうとしていたので、「堂々としなさい」とか「ダンスは『顔で踊る』と考えなさい」などと個人的に指導されました。でも途中から何も言われなくなったので、この場合、おそらく諦められたと思われます。このように僕は、笑顔を強いられる事が大変つらく、飛びっきりの笑顔を絶やさぬ接客マンやダンサーを良しとする、笑顔が第一の笑顔主義が支配する場に参加せざるを得ない時、まるで見知らぬ異国に自分が迷い込んだような不安を覚え、笑顔主義者にはついていけない!などと思ってしまうのです。

 人には向き不向きがあると考えれば、僕はそういう笑顔第一的なものに向いてないと思えます。しかしながら、時に人は自分の向いていない苦手なものに、付き合わなければならないというのも、残念ながら仕方の無い事であります。強制されて笑うのを僕は恥ずかしいと感じていて、そんな笑顔を屈託なく浮かべる人達を、恥知らずのように感じてましたが、自分はいま恥ずかしがってる場合じゃないので、恥をかく事を恐れまい、恥ずかしくても心に秘めて、恥知らずにこの際なってみよう……大変な目にあうかも知れないが、そういう経験が人を鍛えるのだ……苦手な事を体験すれば視野が広がり、人間的に豊かになれる……結論として、俺のもとに転がり込んだ“面倒”に、まずHELLO!と言い、そして“面倒”を抱きしめてKISSをする、こんなイメージでやって行こう……などなどバイト初日の前夜には、プレッシャーを感じたのか、多量のビールを飲みながら、色々と考えておりました。

 僕は深酒をした次の日は、気分が何だか落ち込んだりして、テンション低くドンヨリ過ごしてしまうのですが、バイト初日も行く前に、前夜の酒のせいで気分がドンヨリとしてしまっており、やっぱり面倒臭いのヤだなー、行きたくないよーなどと思い始めたので、結局飲みながら考えた事はいったん忘れ、「お金を稼ぐんだからちゃんとやる」という、高校の頃初めてアルバイトをした時と全く同じ、極めてシンプルな考えを持って臨みました。幸いにして「笑顔の強制度」はそんなに高くない職場で助かりましたが、初日はいっぱいいっぱいで終え、それ以降もしばらくは、ぎこちなさ丸出しで接客をして、肉体労働じゃないのに汗をだいぶ掻いてしまう状態が続きました。しかし人間に備わっている「環境適応能力」のおかげなのか、ある時期から緩やかに、ぎこちない度が下降し始めたように感じたのです。少し余裕が出て来てふと思い出したのは、以前飲食店で働いた時、店内が混み合うと「畜生……客という名のモンスターめ、次から次に来やがって……」などと恐ろしい事を考えてたなぁという事で、そんなかつての自分にダメ出しをしたい気になりました。けれどもよくよく思い出してみれば、この「客=モンスター」という考えは、「客=神様」という考えへの反発でもあり、そして今の僕もかつてと同じように、お客様は神様だとは思えなく、これは「お客様=お金様=神様」みたいな事だろうし、当たり前ですがお客は店に来る「人間」で、更に言えば、店で働く人間に良い態度が求められるのは当然ですが、店に来る人間側もショッピングをエンジョイするための、マナーがきっとあると思います。いまだ僕はぎこちない店員なのでこれ以上は言えませんが、お客を神様扱いするのが接客マンの真骨頂であるのなら、僕は“接客”とお別れせざるを得ないと思っております。

 今回は僕のもとにやって来た“面倒”のおかげで文章を書く事が出来ました。「面倒はよき友である」という風にまとめたい気もいたしますが、“面倒”というやつは臭いので、時には距離を置きながら、ちゃんと付き合っていきたいと思います。




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