DA・BUNU

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2012年3月

 僕はチェーホフの短篇小説が好きで、何度か読み返した作品もいくつかありますが、チェーホフの戯曲の方は正直なところ、読んでも良さが全然分かりませんでした。しかし当たり前ですが、ちゃんと良さがあるからこそ、傑作と名高い戯曲のはずですし、チェーホフが四大戯曲を書いたのは、今の僕と同じ歳位だった事もふと思い出したので、そろそろ理解出来るかも知れないと期待して、四大戯曲を改めて読み、それについて考えてみる事にしました。

 翻訳された海外戯曲を読むといつも思うのは、台詞の中に時折、聞いた事もないような難しい熟語が出て来る事で、これは翻訳者の方が必要以上に小難しく訳しているように思えますので、出来ればそういった訳し方は、止して頂きたいという事ですが、まあそれはさておきまして、なるべく丁寧に四大戯曲を読み返し、そのポイントを探ってみました。まず挙げられるのは「恋愛模様」で、相思相愛、片想い、三角関係、不倫など、色々な恋愛パターンが出て来ます。次に挙げられるのは「いい台詞」で、例えば恋する人を想っての「足音までが素敵に聞こえる……」といった切ない系、自分の人生を振り返っての「すでに費やしてしまった生涯は、いわば下書きで、もう一つほかに清書があるとしたら……」といった哀愁系、あるいは借金のかたに取られた自分の領地を、取り戻したい男が呟く「非常に多くの対策を考え付く。それはつまり、決め手が一つもないって事だ……」といった哲学的系など、「いい台詞」の宝庫です。その次に挙げられるのは「希望」で、例えば「私達の苦しみは、後に生きる人達の悦びに変わって、幸福と平和が、この地上に訪れるだろう」と『三人姉妹』のラストシーンの台詞にあるような、未来の人類が託された、輝かしい希望です。

 チェーホフの戯曲のポイントは、「恋愛模様」「いい台詞」「希望」であります……と結論付けそうになりましたが、しかし、結論を急がずに考えれば、どうも何か違うような気もして、その三つのポイントも、在り来たりと言えば在り来たりだし、それだけだと「小洒落たメロドラマ」になりそうだし、チェーホフの、短篇小説の方から僕が受けた印象は、「孤独」や「人の一生のチッポケさ」、また「(世の中の、あるいは人生の)矛盾」といった、全くチャラチャラしていないものだったので、ありふれているような戯曲なんか、チェーホフは書いていないはず、という風に思えて来ました。自分一人の分析では、そろそろ限界になって来たので、「チェーホフの作品」ではなく、「『チェーホフの作品』について書かれた本」をいくつか読んでみる事にしました。

 まずよく書かれていたのは、チェーホフは「自分について語らない作家」という事でした。自分の思想や作品の意図等について、説明しているような資料はほとんど残っていないそうです。しかし数少ない資料(誰かに宛てた手紙とか)によると、「芸術家に必要なのは、これが正しいとか、こう生きるべきとかの、問題の解決を示す事ではなく、ありのままの姿を的確に伝える事、つまり問題の正しい提示である」と書いていたそうです。また、「人生とは何か」という問いに対しては、「それはニンジンは何かとたずねるのと同じ事で、ニンジンはニンジンであって、それ以上の事は分からない」と答えたそうです。つまりチェーホフの、作品を作る上での基本的なスタンスは、世界や人間について、「よく分からない」というスタンスです。

 次によく書かれていたのは、「噛み合わない会話」で、登場人物達はにぎやかに会話しているように見えても、建設的な会話はほとんどしていないという事です。相手の言う事を聞いていない、あるいは相手に構わず自分の言いたい事を話す、あるいは話してる途中で言いよどむ等、会話はせっかくの「いい台詞」を台無しにするほど噛み合いません。そして例えば『三人姉妹』に登場する中年紳士風の軍人ヴェルニーシンは、哲学的ないい台詞をたくさん喋りますが、その裏側にはうまくいっていない自分の家庭への不満等があり、喋る言葉はいい台詞風ではありますが、実際は愚痴や時間潰しのお喋りといった類のものです。また次女のマーシャに美しい言葉で愛を語ったりしますが、その恋愛を発展させるような行動は一切取りません。つまり言ってる事とやってる事が食い違っている訳で、「いい台詞」を言ったために、その人物の無様な姿が際立つといった印象です。そして「食い違い」はこの軍人に限らず、ほとんどの登場人物に当てはまり、『桜の園』に登場する女地主のラネーフスカヤは、自分の領地が競売にかけられるという深刻な状況下にもかかわらず、競売の当日になぜか自分の屋敷で舞踏会を開いているし、『ワーニャ伯父さん』に登場する美女エレーナは、義理の娘に恋愛の相談をされ、その恋は確実に実らないと分かっていながら、キューピッド役の真似事をし、結果的に娘を傷付けます。これらのように人物の言動には、必ずと言っていいほど矛盾が生じていて、先にチェーホフの戯曲のポイントとして「いい台詞」と挙げましたが、やはりそれは間違いで、「いい台詞風な言葉を語る人の、矛盾」というのがポイントだろうと思います。

 それから次によく書かれていたのは「喜劇」です。『桜の園』と『かもめ』は、タイトルの横にー喜劇 四幕ーと記されています。僕はずっと、自分達の領地を手放さざるを得ない兄妹が、抱き合って泣き崩れるようなシーンのある『桜の園』が、若い作家がピストルで自殺するという事件が、舞台裏で起こって劇が終わる『かもめ』が、なぜ「喜劇」なのか謎でした。でもそれは僕が「喜劇」を「ゲラゲラ笑いながら見るコメディー」という風にイメージしていたからで、チェーホフの指す「喜劇」は、もちろんそれとは違っていました。読んだ本からいくつか引用しますと「チェーホフの劇は一人称世界ではない。主人公による一つの見方で描くと“悲劇”になってしまうが、チェーホフは主人公を抜け出し、主人公を相対化する視点で描いた」、「対象に密着した視点は“悲劇”を生み出すが、そこに距離を介在させると、すべては“喜劇”へと変貌する」、「当事者の深刻な悩みや喜びが、他の者の目には全くつまらぬ、滑稽な事としかうつらない。この主観と客観の食い違いこそが、“喜劇”と呼ばせる所以であった」とあります。つまりチェーホフは、観客が感情移入のしやすい悲劇にならないように、「客観的である事」に強くこだわって、戯曲を書いていたようです。『三人姉妹』のラストシーンは、「私達の生活はおしまいじゃない」とか「生きていかなれば!」など、一見感情移入しやすい台詞を三人の姉妹が語りますが、そのすぐ後に、酔っ払いの軍医が新聞を読みながら、「おんなじことさ!」と姉妹の台詞を台無しにするような事を言うのは、「客観的である事」の現れの、一例として挙げられます。

 最後に、チェーホフの「希望」について考えたいと思います。先に書いたような、未来の人類へ託した「希望」を語る人物が、どの戯曲にも登場します。『桜の園』では大学生のトロフィーモフがそれに当たりますが、女地主ラネーフスカヤと口論になるシーンにおいて、「あなたの若い目に人生がまだ隠されていて、恐ろしいことは見えないだけじゃない?」等のツッコミを受け、トロフィーモフは憤慨し、「あなたとは絶交です!」と言い捨ててその場を立ち去ります。するとすぐに舞台裏から、何かが転落する大音量、続いて笑い声が聞こえます。何が起きたのかと言えば、トロフィーモフが階段から落ちて笑い者になったという事で、「いい台詞風な言葉を語る人の、矛盾」と同じような描かれ方で、「希望」を語る人も描かれます。トロフィーモフは「真実を直視すべき」とか「僕とアーニャ(自分の恋人)は恋愛を超えた高みにいる」などの言葉を安易に口にします。その口振りには、「自分の言う事に矛盾はない」と言わんばかりの力強さがありますが、チェーホフはそんな人を醒めた目で見つめて描いているので、「自分に矛盾はないと思ってる人の、矛盾」を描いていると言えます。ですのでチェーホフの戯曲のポイントが「希望」というのも間違いで、「希望(を語る人)を醒めた目で見る」というのが、正しいポイントであると思われます。

 以上チェーホフの戯曲について、資料を参考にしながら考えてみました。そしていま僕が思うのは「チェーホフってどんな人だったんだろう?」という事です。チェーホフは自伝を書いていないので、勝手に想像するしかなく、例えば「孤独で冷たい心を持った皮肉屋」という風に、ちょっと怖い人物を想像する事も可能です。でも僕はこれまで考えて来て、作家チェーホフに対して、個人的に一番感心したのは、人々の「矛盾」を描くのが本当に見事だという事でした。チェーホフは人間を、「矛盾する存在」と捉えていたように僕は思います。「矛盾」を辞書で引けば「二つの事が食い違う」とありますが、それを言い換えれば、「相反する二つの事が同時にある」という意味になります。「矛盾」を描いたチェーホフは、自らの「矛盾」も自覚していたはずと推測すれば、「醒めた目」や「冷たい心」と同時に、それに反するものも持ち合わせていたはずです。それはやはり、戯曲の中にあるような、未来の人類に託す、「希望」だったのではないでしょうか。

 その「希望」とは、「これから我々はより良く生きていきたい」という望みの事で、そうなるためにどうするべきかについて、チェーホフは慎重に、短絡的な考えに陥らないよう注意深く考えていたはずです。人生とは何かという問いに対して、「分からない」とはっきり言うチェーホフですから、明確な答えを出した訳ではありませんが、安易に感情移入しやすい悲劇を嫌ったように、「人類愛」や「世界平和」、「夢は叶う」や「心はひとつ」みたいな、聞こえの良い言葉にごまかされてはいけないと、考えていたに違いありません。どう生きるべきかの正解は分からないからこそ、「人生は思い通りにならない」、「人間は自分勝手な生き物」といった風に突き放して考える事や、自分自身、周りの事物、起こる出来事、全てに対して、距離を取って見つめる醒めた目が、大切であると強く感じて、チェーホフは「客観的である事」にこだわったのだと思います。

 チェーホフの生きた時代のロシアの状況は詳しく知りませんが、自分や周りの人々が、これからより良く生きていくために、「客観的である事」が必要であると、チェーホフは感じていたのではないでしょうか。あり得ない話ですが、チェーホフがもし、今の日本の状況を見たとしたなら、同じようにその必要性を、感じるのかも知れません。




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