DA・BUN〜駄文につき〜
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2007年 1月・2月
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2007年 3月・4月
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2007年 5月
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2007年 6月
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2007年 7月・8月
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2007.7〜8 |
たまに新幹線に乗りますと、昼間からビールを飲んでる大人を結構目にいたしますが、僕が十代の頃そういう人を見るたびに、「新幹線に乗るとビールを飲みたくなる」といった、大人の条件反射みたいなものなんだろうかと、疑問を感じておりまして、更にホロ酔いで眠りこける、オッサンのだらしない寝顔を見たりすると、「あんな大人になりたくない」とか、「ああいう大人って醜いよな」とか思ったりもしましたが、この八月の盆休みの時期に、僕は九州の実家に帰省するため、久し振りに新幹線に乗りまして、すると車内は帰省ラッシュで満席で、そして僕が予想した通り、昼間からビールを飲む多数の大人を見かけまして、しかし十代の頃の樣に疑問を感じた訳ではなく、なぜなら自分もその大人と同様、缶ビールを一本買ってしまっていたからで、これは先程述べた樣な、条件反射によるものなのか、あるいは普段生活している東京から、少し間離れる事が、僕をちょっと特別な気分にさせたのか、我ながら理由はよく分かりませんけれども、とにかく僕は発車と同時に缶を開け、何となくビールを飲み始めた次第で、そしてまた、だらしないオッサンの寝顔を目にしても、かつてと違って今の自分は、特に気になったりもしませんでした。 僕はタバコを吸いますが、新幹線に乗る時はいつも禁煙車でして、それはヘビースモーカーの集まる喫煙車内は、余りに白煙立ち込めたりするからで、僕の場合禁煙車に乗りつつも、時折喫煙車のロビーに行って、知らない土地の景色が流れていく、窓を見ながら一服し、何か考え事にふけるというのが、新幹線に乗った時の、自分なりの過ごし方だったので、今回もタバコを手にしてロビーへ向かうと、喫煙車のロビーを含め、全てのロビーが禁煙になっており、下車まで一本も吸えないという、ショックを軽く受けてしまったのですが、まあ別に考え事をしたい気分でもなかったし、これも禁煙者が主流という、時代の流れと諦めて、自分の席に戻りますと、ビールのせいか眠気に襲われ始め、あんまりだらしない寝顔にならないよう気を付けながら、ノンビリ昼寝をしたのでした。 この夏は連日猛暑が続き、そのせいか物事をジックリ考える気にならなかったというか、考える事が面倒、考えるとすぐ疲れるみたいな状態が、僕は続いてしまっていて、まあそれをこの夏の気候のせいだけにするのも、ちょっと夏に失礼かと思いますけれども、とにかく帰省中やその前後の日々は、何だかボンヤリしがちな日が続いていて、新幹線での昼寝もそうだし、更に実家では普段の倍くらい連日眠ったし、東京に戻ると眠気はおさまりましたが、例えば酒を飲んだ時には、普段より早く酔いが回り、酩酊してスッ転んだりという事があったり、もしかしたら心が熱中症みたいな状態なのかなと、スッ転んだ後で考えましたが、考える事が面倒なので、その原因についても深く考えずという、ちょっとこの文章自体も、読むのに面倒な言い回しになっておりますけれども、ともかくこれを書いている今現在の時点では、暑さは一段落しておりますので、八月のボンヤリの原因について、ちょっと深めに考えてみました所、おそらくこの炎暑の時期と、三十代の半ばが近付いて、自分の考え方や感じ方が、二十代の頃と変わる時期、つまり、心の転換期みたいな時期とが、ちょうど重なったんじゃないだろうかと、そういう風に思えてきたのです。 「心の転換期」であるのなら、ボンヤリした状態ではなく、色んな考えが頭を忙しく回る樣な状態なのではと、書いてて我ながら思ってしまいましたが、しかしこの場合のボンヤリについて詳しく述べれば、おそらく二十代から三十代初めにかけて、自分が考えていた事に対し、もう共感出来なくなったとか、飽きてきたとか、更に「捨てるべき考え」だとか思ったりし、けれども自己批判や自己否定みたいな事を、しようという風には思わなく、それはきっとその方向で考え過ぎれば、逆に年配じみた樣な考えに偏り、それに頭が支配されそうな、嫌な予感がするからで、なるべく頭の中をからっぽにして、今まで目を向けなかったものに気付いたり、今までとは違う視点や発想を受け入れたり出来る状態、そういう意味での、ボンヤリした状態を、特に意図した訳ではありませんが、作ろうとしていたんだろうと思われます。 またしても、読むのに面倒な言い回しになるかも知れませんけれども、「考える」という事について、ここで考えてみたいのですが、例えば有名な彫刻『考える人』に見られる樣に、「考える」からイメージするものと言えば、頬づえをついて静かに座り、瞑想する人の姿等でしょうが、実際の「考える人」というのは、じっと頬づえついたりする樣な時間よりも、自分のその時の「考え」らしきものに、ピッタリはまってくれそうな言葉を、本に書かれた文章や、誰かの発言などの中で、常に探しているという、むしろ行動的な時間の方が長く続いて、そして見付けた言葉に影響され、「考え」を組み立てたり、深めたりしている樣に思えまして、二十代のある時期の僕は、「今の自分の枠を超えろ」とか、「未知のものに挑戦しろ」とかの言葉に影響されて、自分の将来について考えたり、また周りの人々や社会については、「同じ程度の人間がつるみ、安心し合ってるだけじゃないか」とか、「集団はルールを押し付け強制し、束縛してくる」とか、「職業とは結局、金をかすめ取る悪知恵の勝負」とかの言葉に影響され、周りをそういう風に見がちになったり、そしてまた、つまらないと思う芝居を見れば、「ギリギリの行き場の無さから生まれた表現じゃなきゃつまらない」とか、「狂気と冒険のない表現者はダメだ」とかの言葉を引用し、つまらない理由として考えたりと、なまぬるさを否定する、そういう言葉たちを正しい解答の樣に捉えながら、考えていたのですが、今振り返り問題に思うのは、自分の周りに対するその「考え」からの視線が、どこか周りを見下して、見限ろうとする偏ったものじゃなかったかという事で、更に言えば、「自分の枠を超える」というのを理想とし、それに向かっての挑戦をしたとするならば、結局その挑戦には敗れたとしか、今となっては思えないし、当時描いた青写真も、妄想の産物だった気もしてくるし、とりあえず今現在、自分がするべき事というのは、その敗北をアッサリと認めて、周りの人々や社会に対して、引いていた線の樣なものを消し、その中へと入って進んでいく事じゃないかと、そんな風な気がしてきたのです。 今の自分は、その当時とは逆の意味合いを持つ文章や発言の中に、言葉を探し始めたとも言える訳で、例えば今、「自分の限界を知れ」とか「やれない事はやれない」とかの、後ろ向きで消極的とも感じられる言葉にも、影響されてしまうのですが、しかしかつての「考え」を、完全に捨てたという訳でもなく、ふとある言葉を思い出し、改めて影響される時もあったり、また当時は言葉を曲解していたと気付く時もあったりして、やれない事はやれないと思いつつも、やはり枠を超えたいとも思っており、矛盾が生じてしまっているのですが、何かで読んだ、「人間すべて矛盾の中に生きている」という言葉を参考にし、矛盾を肯定して考えますと、「自分の限界」を引き受けて、「やれない事はやれない」というのを前向きに捉え、逆に積極的に展開出来ないだろうかと、今そんな「考え」を、組み立て始めた次第であります。 そろそろこの文章を締め括りたいと思いますが、今回の文章は、面倒な言い回しが多めだった気もいたしまして、久し振りに頭を使い、正直少々疲れましたので、残暑もしばらく厳しそうですし、これからもう少しの間、スッ転んだりしない範囲で、またボンヤリと日々を過ごし、それから秋を迎えたいと思っております。 |
2007.6 |
今回は食べ物の話から始めさせて頂きます。カツカレーとかチャーシューメンとか、あるいはベーコンやサラミがたっぷりのピザとかいった、いかにもカロリーの高そうな食べ物は、僕の場合そのコッテリさに食べる途中で飽きてしまったり、その後で胸ヤケや胃もたれを感じたりして、食べた事を後悔してしまう時があるのですけれども、そういうコッテリした物は、後悔するかもと分かっていながら、時折どうしても食べたくなるもので、先日も何だかコッテリなメシを食べたい気分に襲われて、その日出掛けた先の駅前で、看板に「牛丼&カレー」と書いている店(個人経営らしき小さな店です)を見付けて入り、カツカレーを注文したのですが、ふと店内の壁を見ると、その店は以前雑誌で紹介された事があるらしく、そのページの切り抜きが貼られていて、その記事を読んでみますと、「カレーの隠し味に牛丼のタレを使用」と書かれてあって、「隠し味にしては安易すぎるのでは?」とか、「そもそも隠れてないのでは?」といった疑問が頭をよぎり、まあでも別に追及するべき疑問でもないし、とりあえずマンガでも読もうかと、壁際に置かれた本棚に目をやると、『キャプテン翼』や『キン肉マン』といった、一昔前のジャンプ・コミックスがズラリと並んでいたので、何となく『キン肉マン』を手に取って、カツカレーを待つ間、そして運ばれて来て食べる間に、すごく久し振りに第一巻から通読していると、かつて僕が気に入っていた、「女房を質に入れる」というギャグが、食べてる途中に出てきたので、カツのパン粉とカレーのルーと、ごはん粒のついた口元を思わずニヤリとさせたのですが、一応このギャグについて説明しますと、アデランスの中野さんと呼ばれるカツラで童顔のオッサンが、自分の女房を質に入れてまでして金を工面し、キン肉マンたち超人の試合を見に来ているというもので、そのオッサンの尋常でない金の作り方が、なぜか少年の頃の僕の心を揺さぶったらしく、記憶に残っていたという次第でして、そんなアデランスの中野さんに対し、昔の友人にバッタリ会ったみたいな気持ちになりつつ、牛丼のタレやカレーのルーの、シミが点々と付いたページをめくり続け、そしてカツカレーをたいらげたので、キリの良い所まで読んでマンガを閉じると、カツのパン粉がやや多めだった事もあり、予想以上の胸ヤケを感じ、更に胃もたれも感じ出しながら、お愛想をして店を後にしてしまったのですが、その時ふと思い出したのは、以前読んだある詩の中にも、「女房を質に入れる」といった内容のものがあった事で、それは確か昭和の始め位の頃に、山之口漠という詩人が書いたものだと覚えていたので、もう一度ちゃんとその詩を読んでみたい気持ちになり、胃もたれの腹を抱えつつ、帰り道に図書館へ寄る事にしたのでした。 その日は梅雨時期にふさわしい、降ったり止んだりのぐずついた天候で、図書館に着く直前に雨が強く降り出して来て、するとそばにある公園から、個性的な髪型や服装をした、ホームレスが小走りで数人やって来て、雨をしのぐためか図書館へ入り、僕もその面々の後に続いて入館し、「詩歌」コーナーの棚へ向かって、目当ての詩集を探してみると、割とすぐに見付かったので、館内の閲覧席で読もうかと席を探せば、雨をしのぐ面々が早くも席を占領しており、そしてちょっとリアルな話、全くかぐわしくないニオイが少し漂い出してて、そのまま立ち読みする気にもならず、その本を貸出してもらい、喫茶店かどこかへ行ってゆっくり読む事にしたのでした。 ちょうど図書館の近くにあった、一杯百六十円の安いカフェへ行き、詩集のページをめくっていると、またしても雨をしのぐつもりなのか、拾った雑誌でいっぱいのバックを手にした、今度は甚だしくない程度に個性的な、つまり比較的に清潔そうと言えるホームレスが、僕の方へ近付いて来て、すぐ横の空いていた席に腰を下ろし、コーヒーを飲みつつボンヤリ窓の外を眺め出して、するとまた微かにですが、かぐわしくないニオイが漂って来て、しかしまあガマン出来ない程度でもないので、そのまま詩集を読み続け、目当ての「女房を質に入れる」という詩を見付けたのですが、この詩を改めて読んでみると、実際に質入れをしたという内容ではなく、夢の中の話で、風呂敷包みを手にした自分が、その包みを質に入れようとすると、生き物なんか預かれませんと、質屋の主人から断られるという、そんな夢を見てしまって、目が覚めると自分のすぐ隣に、風呂敷包みから転がり出たかの様に、女房が寝ていたという内容だったのですが、もしかしたらキン肉マンの作者はこの詩を参考にしたのかもと考えながらも、僕の隣の席に座る、窓をジーッとずっと眺め続けてる個性的な客が、ふと気になったので目をやると、降り続く雨をすごく恨めしそうにニラんでいて、当たり前ですがこういう人達は、雨だと大変なんだろうとちょっと思いつつ、再び本を読み始めると、「草の上に眠ります」みたいな、ルンペン生活をなげいた詩がちょうど載っていて、そしてその本は詩だけではなく、その詩人の年譜も載っていたので目を通すと、やはりルンペン生活の経験が数年あるらしく、そしてまた年譜の他に、“詩”についてのエッセイがあったので読んでみると、この詩人の場合、“詩”を書くという行為は、自分のかゆい所を掻く様な、痛い所をさする様なもので、なぜ詩を書き続けるのかと聞かれたら、かゆい所を掻いてると、それが病みつきになって止めれなくなったからと答えるしかないと述べており、貧乏詩人、ルンペン詩人と呼ばれたその人の、“詩”との関わり方みたいなものに、ちょっと共感を覚えたのでした。 僕は東京で数年芝居をやっていますが、僕と芝居の関わりも、この詩人にちょっと似てるんじゃないかと考えたのですが、少し共感を覚えた位で、そのまま自分に当てはめるのも安易なのでは?という疑問も浮かび、この疑問は前出のカレーの隠し味の場合と違って、ほったらかしにしない方がいい様な気もして、自分の芝居への関わり方などについて、ここで改めて考えるというか、見直してみたくなったので、今回は食べ物の話から書き出したのに、遠回りして結局また芝居の話になってしまうのもどうなんだろうとも思いますが、自分と“芝居”の関わりという、その辺りについて考察してみようかと思います。 芝居を始めたそもそもの動機から振り返ろうかと思ったのですが、そこから始めると長くなりそうだし、結局なんとなく面白そうだったからとしか言えそうもないので、その辺はバッサリ省きまして、僕はいま台本を書いたりしてますが、元々は役者志望であり、十年位前になりますが、芝居を本格的にやってみようと決めた所から、話を始めたいと思います。 当時すでに東京に住んでいたのですが、そういう方面の知人は全くいなくて、とりあえず芝居関係の雑誌を読んでみると、その中に「あなたも三ヶ月で舞台に立てる」と広告を載せていた、ある団体(演劇研究所という研究機関?でした)を見付けたので、一度見学してみようと行ってみると、その研究所の代表である、五十がらみの温和そうな男に、「ぜひ舞台に立ちなさい、三ヶ月後に」と大変優しげな口調でお誘いを受け、そんな妙に柔らかな口振りになっているのは、三ヶ月分を一括払いの月謝が目的なのではと疑いながらも、とりあえずその演劇研究所で、演劇を一度研究するのも損じゃあるまいと、参加を決めた次第でしたが、そこではその温和そうな男が先生みたいな立場で、舞台に立とうと集まった研究生達を指導していて、いくつかここで、その男の指導の例を挙げてみたいと思いますが、緊張で声が小さかったり、動きがギコちなかったりする女の研究生に対し、「芝居は精神のストリップだよ。君は毛皮のコートを着こんで演技している。着こんでる物を全部脱ぎなさい!」と指導したり、「君の演技をマンジュウに例えるなら、君はマンジュウの皮の部分で演技している。観客は君の中身の部分、あんこの部分が見たいんだ。君のあんこをなめたいんだ!」と指導したりと、要はもっと思い切ろという意味の事を、いささかエロ親父的な発想で、安直に比喩して言ってるだけであり、しかも上演する台本は、戦争反対のテーマが説明的に語られる、ストレートでシリアスな台本で、時代背景は戦時中であり、僕に振られた役は出征を間近に控えた大学生で、僕の主な相手役は、世話になっている教授の、その奥さんという役だったのですが、出征を明日に控えたその前夜に、図らずも防空壕の中で奥さんと二人きりになり、思い切って愛を打ち明けるという、ドラマチックこの上ないシーンなどがあったりし、「僕は死ぬかもしれないのですよ!」とか「お、奥さん…愛しています!」とかのストレートこの上なしといった台詞を、一体どんな顔して言うべきなのか、大変戸惑った訳ですが、それよりもはるかに大きな戸惑いは、僕の相手役を演じる人が、対人恐怖症みたいなのに陥ってる人で、他人と目を合わせる事が不可能という、なにゆえ舞台に立とうと思ったのか、そしてなにゆえこの舞台への参加が許可されたのか、全くもって分かりかねる話で、この夜の防空壕のシーンの稽古中、ずっと伏し目で震えながら演技してた彼女が、ふと一瞬だけ目を上げた時、ちょうど台詞を言ってた僕とバッチリ目が合ってしまい、すると彼女は「ア゛ー!」とか叫びだして、稽古場の隅へよろめきながら走って行って、そこでしゃがんでうずくまり、するとその彼女の周りに、代表のオッサンや他の研究生が駆け寄り集まって、「頑張るんだ!」とか「勇気を出して!」とか「一緒に舞台に立ちましょうよ!」とか励まし出して、その励ましが効いたのか、彼女はフラフラしつつも立ち上がり、目や鼻から少し水を漏らしながら、引きつったものすごい形相で僕にゆっくり近付いて来て、そして信じられぬ事に代表のオヤジが、続行可能と判断したのか、稽古再開の合図の手をパンと打ち、すると彼女は途切れ途切れに小さな声で、台詞を一生懸命に棒読みし出して、僕は絶対に目を合わせないよう注意して演技しながら、「ここから早く逃げなきゃヤバい!」と、心の中で叫んだのでした。 その研究所は「演技理論」という授業の時間もあったのですが、「台詞を言う時は、相手の眉間を狙って言葉を撃つべし」とか、疑問を感じざるを得ない理論ばかりで、更にその授業中ある研究生が、「先生、演技の神様というのはいるのでしょうか?」といった、耳を疑わざるを得ない質問をすれば、代表の先生様はニヤリとして、「ああ、いるとも」と言い、「稽古に稽古を重ねれば、本番の舞台上に神様が降りて来るんだよ」と答えると、その研究生は得心がいったのか目をキラキラさせてるという、先生も先生なら生徒も生徒で、防空壕シーンの稽古中に心の中で叫んだように、僕はそこから逃げる事に決め、もし僕の後を誰かが追って来たなら、地の果てまでも逃亡しようという思いで、その研究所と早々に縁を切って去ったのでした。 その後数年経ってから、自分で台本を書いて演出をするという、芝居に出るというよりも、作るといった事を初めてやりましたが、その数年のいきさつ等を書いても長くなりそうだし、自分で演出を始めたその理由も、結局なんとなく面白そうだったからとしか言えそうもないので、その辺りもバッサリ省きまして、その初めての芝居作りを終えた直後に、自分が感じた事について、次は述べてみたいと思います。 公演を一本打つ事は、稽古や本番等の他に、その公演のための様々な制作的作業も大変であり、それもあって数日グッタリと困憊してしまいまして、芝居は公演を終えてしまえば何も形として残っていない気もするし、この疲労は徒労じゃないのかと思い始め、これから芝居を続けるのなら、続ける理由も明らかにすべきで、それについて考えた時、前出の研究所を引き合いにすれば、「演技の神様が降りて来る」とか、シラフの頭では考えられない発言をしたり、あるいは「一緒に舞台に立ちましょうよ!」とは、「一緒に芝居ごっこやって遊びましょうよ!」と同じ意味で、そんな発言をしたりといった、「芝居」と呼ばれるものに酔っ払って、気持ち良くスッキリしたいという動機であれば、路上で迷惑かえりみず、大声で愛がどうのと弾き語って、自分だけウットリしてスッキリしてる人達と変わらないし、辞めなきゃマズいと考えて、もしかしたら僕もそれに近い動機だったんじゃないかと、自分を疑い始めたのですが、けれどもその公演における何かの瞬間に、そういった「芝居ごっこ」ではない所、純粋に“芝居”と言える領域の所に、触れた瞬間があった様に思え、それは本番の幕が開いた瞬間とか、また観客に良い感想を言ってもらえた時とかの、分かりやすい場面じゃなかった気がして、よく振り返って考えてみれば、それは本番前日のリハーサルの際で、舞台セットが作り上げられ、いったん明かりが消されて暗闇になり、音楽が流れて照明のライトが点灯し、舞台上に人間が現われた、その瞬間だった様に思え、その印象は僕がまだ少年の頃に、子供会の合宿だったか林間学校だったか忘れましたが、夜にキャンプファイアをやった時の事を思い起こさせ、夜の深い暗闇の中に、音をバチバチと立てながら、炎が勢いよく燃え上がるのを見た瞬間、そしてその炎の明かりに照らされた、周りの皆の顔を見た瞬間に、楽しいけれども不安みたいな、幻想的だけど恐怖みたいな、何とも言えない感覚が生まれ、炎に照らされた皆の顔も、普段とは違う別の顔に見えて、いつもの日常とは確かに違う、非日常に包まれた様な体験でしたが、公演のリハーサルの際に、“芝居”に触れたと思えた瞬間は、キャンプファイアのその瞬間に、似てるのではと思ったのでした。 もちろんそういった感覚を求めたいのであれば、芝居をやるんじゃなくてキャンプで焚き火してりゃあいいじゃんとツッコまれそうですので、非日常こそが“芝居”な訳ではないでしょうけれども、普段の生活では感じ取れないものとか、常識的な考えからはみ出すものといった、言葉で説明出来ない領域に触れる事が、“芝居”に触れる事かも知れないと思えるのです。 話は急に戻りまして、「女房を質に入れる」という詩についてですが、詩を改めてよく読めば、貧乏過ぎて女房を質入れしたくなったという、非常識な詩を書いたのではなく、貧乏で生活がどうにもならないので、質屋に女房をしばらく預かってもらえないか相談に行ったと書いていまして、女房を思うがゆえに、質入れしたくなったと解釈出来る訳ですが、この詩の様に非常識といっても、常識的な大人や下らない日常にファック!という、分かりやすい反抗的なものではなくて、日常をジックリ生きた上で、ふと芽生えた非常識や、あるいは前述のキャンプファイアをした時に見た、炎に照らされた皆の顔が、普段よりも何というか、人間的?原始的?みたいな顔に見えたりという様な非日常性に、“芝居”の秘訣がある風に思え、分かりやすく言いますと、よく分からない所に迫るのが“芝居”なんじゃないかという、ちょっとこの文章自体も変な分かりにくい感じになっていますが、とにかくそういう風にして、これから芝居に関わっていきたいと、僕は今考えております。 最後に演劇研究所をもう一度振り返りますが、防空壕のシーンの稽古中、僕は台詞をちゃんと覚えて、演技っぽい事をしようとしていたのに、相手役の人は演技どころじゃなかった訳でしたが、その研究所では演技の神様がいるという事になっていたので、もしそんな神様がいると仮定して考えれば、その神様が降りて来て微笑んだのは、ちゃんと演技しようとしてた僕らにではなく、演技に困り果てながら、必死に小声で棒読みをし出した、その人の方かも知れないと、思ったりもいたしました。
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2007.5 |
先日飲んで終電に乗り損ね、始発まで一眠りして待とうと駅近くにあったネットカフェへ行き、そこの個室に入ったのですが、その日たまたま大荷物で、狭い個室が余計狭苦しく感じられ、またイスに座って窮屈に体を折り曲げた状態だったので、結局あまり眠れないまま明け方そのカフェを後にして、ふと思ったのは大荷物で一泊したし、自分が住所不定でネットカフェを泊まり歩く、いわゆるネットカフェ難民じゃないかと、店員や他の客に思われたのではという事でして、まあ思われても別に構わないのですけれども、そう思われたかも知れないという、ついでというか何というか、ネット難民の暮らしをちょっと想像し、あの人達はきっと快適な安眠なんか全然してないのだろうと考え、そしてネットカフェ難民の多くは、日雇い派遣の仕事で糊口をしのいでいると聞いたのを思い出し、日雇い派遣と言えば僕も昔、ちょうど誰もが携帯を持ち始めた位の頃ですが、派遣で肉体労働の仕事をやっていて、実は三年近くそれで細々生計を立てていた事があり、そのツラい実態を知ってまして、当時の事を思い出したりしましたので、今回はその日雇い派遣について、述べてみようかと思います。 そういった派遣会社の求人広告によりますと、「自分の好きな時に好きなだけ稼げる」みたいに書かれてますが、実際は会社に登録して仕事の予約を入れたところで、予約した日に仕事が出来るかどうかはその前日にならないと分からないという、つまり「自分の好きな時に、仕事がもしあれば」稼げる訳で、しかも時間帯も短時間の仕事しかないとか深夜の仕事しかないとか言われる事もあり、つまり「自分の好きな時に、仕事がもしあれば、そして時間帯がもしうまく合えば、好きなだけ稼げる」といった次第になり、予約日前日に事務所に電話したら、「明日もう人が埋まっちゃった」と軽く言われる事も結構あり、あるいは逆に、春の引越シーズンやお中元お歳暮の時期などは、休むつもりなのに事務所から電話がかかってきて、「明日人が足んないから頼む」とか言われ、断ると、「今のうち稼いどきなよ」とか言われたり、もし引き受けると、「日勤の後に続けて夜勤の、ダブルで稼がない?」とか言われたりと、要はいいように利用されがちの弱い立場で、給料も交通費は基本出ず、更に事故に備えた保険料という名目で数百円が天引され、時給に換算すると力仕事なのに大した金額では別になくて、またほぼ毎日現場が変わるため、常にバイト初日の様な緊張もあり、共に作業するメンバーも日替わりなため友達も出来ず、そして危険な目に遭う事もなきにしもあらずで、僕の経験で例を挙げれば、解体工事現場で「バイト君のメットねぇや」と言われノーヘルで作業中に、シャベルカーを操ってた業者の奴が操作をミスって、僕の頭の数センチ上を、僕の頭の何倍もあるシャベルがグォーッと横切ったり、また廃ビルの廃品撤去作業で、現場に行くとビル内が暗闇だったので、「バイト君電源探して」と言われ真っ暗な中探していて、誰かが見付けたのか明かりが点くと、床に何人もはまれるサイズの、大きい落とし穴の様な、深い地下へと転落する開口部がポッカリと空いていたり、そしてまたある橋の耐震補強工事現場では、橋を周りから囲う様に組まれた足場へ、四つん這い状態で潜りこまされ、強力ボンド類らしき液体とハケを手渡され、「これ目に入ったら失明したりするから気を付けて」と言われ、橋の側面にゴーグルもなしに、その液体を塗らされたり、またその他、恐ろしいウワサとかもあったりして、ある引越業者の連中が、ドンクサいバイト君の一人に腹を立て、作業終了後にそのバイト君をパッキン(段ボール)大に力ずくで押し込み梱包し、周りからパンチキック等を浴びせ、最後に荷台から、そのバイト君というコワレモノ入りのパッキンを蹴り落としたという、まあこれは事実か分かりませんけれども、とにかくそんなウワサもある様な仕事場だったので、今テレビCMでモバイトとか何とか言いながら、おシャレな若者がさわやかな汗をかく様な姿が流れてますが、あんなのはズバリ嘘であり、実際は全く違う訳です。 かつての自分のバイト君という立場から、日雇い派遣について怒りの筆を進めてきましたが、そんな憤りを抱えながら、なぜ自分は三年近くも続けてしまったのかと言えば、これは現在のネットカフェ難民にも通じるかも知れませんが、日払いの仕事でギリギリ生活をしていると、一般的な月払いの仕事に切り換えるのが困難という、つまり手元にお金が入らない一ヶ月間の暮らしに困るという点が挙げられるのですが、しかし僕も仕事のある月はほぼ毎日働いて、少し貯まったりした事もあったので、やめようと思えば出来なくもなかったはずであり、よくよく振り返ってみましたところ、先に日雇い派遣の欠点をツラツラ考え、悪口を書き連ねましたが、ただもうホントに嫌だったという訳ではなく、むしろそんなに苦に思ってなかったのではという気もし、もちろん楽しかった訳ではないし、今はもう嫌だと思ってますが、当時はヤだなと思いながらも、どこか心地良さに似たものを、感じていた所があった様に思えてきました。 僕のその心地良さを身もフタもなく言えば、組織に縛られないフリーターの、無責任でいられる気楽さと言えなくもなく、そしてそういった気楽さゆえにフリーター人口は増加を続け、現在社会問題になっているとも聞くし、その他いま世間では、格差とかワーキングプアー、ニュープアーとか、またスタッフの不当な扱いを提訴された派遣会社があったり等の問題が取り上げられてますけれども、それはまた別の機会に考えるとして、それよりもここで考えたいのは、あの頃の心地良さを単なる気楽さと言い切って片付けてしまうのではなくて、いい加減さや無責任さ以外にも、潜んでる何かがあったんじゃないかという事で、その辺りについて考え、身やフタのある言い方で、述べてみたいと思います。 当時僕は日雇い派遣を始める数ヶ月前に、就職してた会社を辞めていて、職場という場所やそこにおける人間関係等にちょっと疲れていた所があり、また自分がこれから何をしたらいいのかが分からなく、何も考えたくないというか、考えられない状態だったのですが、しかしまだ若かったせいか悲観的にもなってなくて、肉体労働で体を使って汗をかきつつ、自分のこれから先について、ゆっくり考えたいという様な事を、ボンヤリ思っていたのでした。 日雇い派遣の仕事内容は、搬入、引越、仕分、設営等、色々なものがありましたが、単純肉体労働という、その単純さで共通しており、記憶に残るのは一戸建ての建築現場での、連日の雨で地下にタップリ溜まった水を、スコップですくってバケツに入れ、バケツが一杯になったら外へ流すという作業で、一日中それだけをやるように言われ、両足を水につけて作業して、せっせと動かす体から汗が吹き出し、また作業中はねた水もかぶったりし、でも濡れてもいいやと開き直って続けてるうちに、全身水浸しになってしまい、そのうちなんだか一種のトランス状態に陥り、ビショビショなのは汗のせいか水のせいか分からない感じで、自分が水溜まりと一体になったかの様な感覚が起こり、これこそ“働く”という事の基本じゃないかと、トランスでハッキリしない頭のまま、体を通した思考回路で考え、それはいわゆる汗水垂らして働くとか、流す汗の美しさとか、そういう意味では全くなくて、水溜まりを相手にして、自分の流した汗のしずくが、水溜まりの中にポツポツと落ち、のまれていく様子を見ていると、そういう風にして汗のしずくを黙々と、相手に対して落とす事が、“働く”という事そのものじゃないかと思い、自分は無心にただ汗を流すだけの、カラッポで何者でもないといった存在になり、それにより相手と一体になれたみたいに感じられ、トランス状態でしたけれども、“働く”という事に、それまでにないシンプルさで、触れた様に思えたのでした。 日雇い派遣の仕事とは、様々な現場に行って単純労働をするという事であり、当時向かった都内での、様々な現場についても述べてみたいと思います。地方出身者である僕は、東京にいる自分はヨソ者で、ヨソ者のまま住んでる様な気が当時していて、ここに住んでるというよりは、ずっと東京の旅をし続けているみたいな感覚がどこかにあり、様々な所に仕事で派遣されて向かう時、まるで旅に向かう様な気分になったりし、もちろん旅といっても観光な訳では当然なく、色んな仕事場を体験する旅で、印象に残る現場を挙げれば、ゆりかもめの開通直後のお台場の辺りで、お台場よりもっと先にある、人けのない海沿いの、廃棄物の処理場らしき所で、そこには草刈りの仕事で行ったのですが、時折風に乗ってものすごい悪臭がただよってきて辟易としたり、また世田谷区の高級住宅街に、区から道路清掃を請け負った業者の、ドブ掃除手伝いの仕事で向かった時、その業者のオッサンがお宅情報にとても詳しく、聞いてもないのに有名人のお宅を次々教えられ、更に「あの空家はこないだ倒産した〇〇会社の元社長の家だ」といったウラ情報まで、ドブを一緒にすくいつつ教えられたり、その他銀座の有名デパートに、展示会設営の仕事で行った時、地下の社員食堂での休憩中に、猫のサイズ位にデカい、丸々と太った一匹のネズミが、壁沿いに床を駆けてくのを目撃したりと、かつて憧れた“東京”のイメージとは違った、“東京”を裏の方から探って、リアルに体験するといった旅で、表面上はキレいで華やかだったりするものでも、その部分だけ見て簡単に判断してはいけない、表層的なものでごまかされちゃいけないと、考えたりしたのでした。 派遣会社での人間関係についてですが、長く続けていると事務所から、「ベテランさん」みたいな風に呼ばれだし、そして僕と同じ位に長い、他のベテランと事務所で日給をもらう時などに一緒になったり、また現場で一緒になる事もあったりして、ベテラン同士で顔見知りになり、ちょっと親しくなった人もいたのですが、しかし距離感は保ったままの、自分達はハッキリ他人同士という接し方を、お互いにしていた様な気がします。また先述した通りこの仕事は、基本的に単純作業を日々違う現場でやる事ですが、現場の空気は毎回少し違ってたりして、ボーッと動かずにいれば派遣先の人から当然怒られますけれども、逆に動きすぎるとでしゃばるなと怒られたりする事もあり、そういう意味でちゃんとその場の空気を読まなきゃいけなくて、バイト君としてのベストな状態は、その日の作業の流れを早めに的確に推測し、段取りを先読みして効率よく立ち振る舞うという状態で、やる事は創意工夫のいらない単純作業ですが、単純作業をどういう形で行うかという事において、創意工夫が少し必要であり、ちょっと大げさに言い換えれば、自分は単純作業スタッフとしてのみ、そこに存在しているという風に、自分の性格的というか、人格的な部分をちゃんと消す事に慣れるのが大切で、我の強い人には全く不向きの仕事であり、そこで僕が感じたのは、更に大げさな言い方ですが、こういう風にして仕事場で、自分個人に関心が持たれていないのと同じ様に、もしかしたらそれ以上に、社会という世の中では、自分は関心が持たれないだろうという事で、それは在り来たりな言葉で述べれば、自分はチッポケな存在といった事かも知れませんが、誰でも我の強い弱いにかかわらず、自分中心に世界が回るとか、世界の中心で愛をナントカ言うのとかは、勘違いなはずであり、世界から関心を持たれていないというのが、自分という存在の、基本的な在り方である様な気がしたのです。そういう自分の在り方を考えながら、日雇い派遣を通じて会った色んな人は、シガラミなしの他人だとの認識で、人間関係上で普通はつかざるを得ない嘘も、ここでは言う必要が別になく、作業が終わればお互い無関係といった、ドライなサッパリ感みたいなものがありました。人とサッパリとした距離感を取り、旅する気分で仕事場へ行き、無心にただ働くという事に、当時心地良さを感じたんじゃないかと思われ、つまり、自分は何者でもないという事による、充実感だったと言えるのかも知れません。 僕だけでなく他のベテラン派遣スタッフも、きっとそういった充実感をどこかで持ってた様に思います。しかしそんな日々をずっと長く過ごしていると、何者でもない自分に対し、ふと疑問を感じる時もあり、具体的にそれがどんな時かは挙げにくいのですが、例えば派遣先にいる業者の人達が、休憩時間等に自分達の会社の将来について話してたり、あるいは携帯で自宅に電話して、カミさんや子供とかと話してたりという様な、大人みたいな顔をして、何者かである風に見える、他人の姿を目にした時に、自分は一体いま何をやってるんだろうと、何も築こうとしていない自分に対し、疑う様な気持ちが生まれ、何者でもない充実感のその背後に、隠れヒッソリと育っていた、自分に対する焦燥感が、充実感と背中合わせに、急に膨らみだした事があり、僕が親しくなった他のベテラン達も、職人になるとかラーメン屋になるとかで辞めたり、また派遣先の業者にスカウトされ就職した人もいたり、その他怪しげな金融業とか、ネズミ講みたいなのを始めると言ってた人とかもいましたが、彼らもおそらく僕がいま述べた様な、焦燥感にかられて日雇い派遣を辞めたのではと思えるのです。 最後に当時親しくなったベテラン派遣スタッフの、ちょっと変わったバンドマンの人の話をします。休憩中に何人かで一服しつつ喋っていて、楽で稼げるバイトはどこかにないかとか、パチプロになりたいとかいった種類の無駄話を主にしてたのですが、彼が誰かに、「でもバンドやって夢があっていいスね」みたいな事を言われた時、「もし成功してもそのために苦労してるし、多分嬉しくない」とか、「一回売れても売れ続けるか分かんない」など、冷めた答えばかり言っていたのですが、安易に語られがちな“夢”というのは、この世の中には無いんだと、彼が言ってた様にも思われました。僕は日雇い派遣をやる事を通じて、自分という存在の基本は何者でもなく、世界からは関心を持たれず、そしてその世界というものは、表面上では判断出来なく、また夢のない場所であるといった、ドライ過ぎるとも言われそうですが、そういう考えを持つに至ったのです。“夢”のないそのバンドマンが、今もバンドを続けてるかは知りませんし、もう辞めたんじゃないかとも思いますが、安易な“夢”などないと知りつつ、まだ挑戦し続けているのなら、かつて同じ立場から、世の中をドライに考えて、同じ単純作業に汗をかいた仲な訳だし、応援したいという気持ちになります。でもまあ彼の名前も忘れていて、顔もボンヤリしてしまってるのですが。 |
2007.3〜4 『アフター・ザンギリヘッド』終了いたしました。 ご来場の皆様ありがとうございました。 |
少し前にあるテレビ番組で、ヒトのカラダの七割は水であり、そのほぼ十割が一年間で入れ替わると聞いたのですが、その番組が何だったかは忘れてまして、たしか健康をテーマに水について語っていたので、もしかしたら件の情報を発掘する、大事典風の番組だったのかも知れませんけれども、それはさておきまして、ヒトは水分を発汗とかお小水などで出し、飲んで新たに補給すると考えれば、ウソ情報でもなさそうなのでとりあえず信用し、更にヒトにはお小水のほかお通じもありますから、水以外の物質も入れ替わると考えれば、今と去年のカラダとでは、少なくとも七割以上入れ替わっている、七割以上の別物である、つまり、七割以上今の自分とは別人であり、更に言えば、二年前、三年前…とさかのぼっていく程に、別物の割合は高くなり、どこかで十割が今とは別物の、完全な別人になってしまうと、物質的には言って良いかと思われます。 この物質的な変化の度合に合わせ、精神的にも変化しているとは普通考えられませんし、そんなにコロコロ精神が変わられても、自分がまず生活上困るに違いありませんが、カラダが新しいのを入れて古いのを出しているのと同じ様に、ココロも周りの環境から新しく影響され、古いのを忘れたり捨てたりして日々過ごしていると考えれば、精神も変化すると考えるのが、自然であると言える気がしまして、「俺は俺さ」とか、「それが俺って男さ」とか、あるいは「あんたええ男や。うち、これから先もあんたの事ずっと好っきゃで」みたいな言葉たちは、ドラマとか歌詞なんかで少なからず耳にしますけれども、これらは本来コロコロ変化する性質を持つ、ココロというものにはムリのある、不自然で疑わしい言葉たちであると、言えるのではと思います。 赤ちゃんにつける名前で、例えば「翼くん」や「翔子ちゃん」といった、未来に羽ばたき飛翔するイメージのこめられた名前が結構ありますが、この翼くんたちのカラダとココロも成長するに連れ変化して、青年期が過ぎ壮年期になり、かつて羽ばたこうと描いた未来が、今現在という時間になっている事に気付いた時、思い通りに翔べているとは限らないというか、低い位置をフラフラしながら飛んでいたり、ちょっと飛んでみたら望んだ場所とは違う所に着地して、ボー然としてしまってたり等、そう簡単に思った様な飛翔が出来る訳ではないでしょうし、もっと言えば、そのうち過去の時間の方が未来よりも長くなり、名前の持つイメージとは齟齬が起きて、翼くんは尾羽打ち枯らし、翔子ちゃんは堕ちていき、老年期になり、そして死に、しかしそんな事とは無関係に、月日は流れ、忘れ去られ、遥か昔のベストセラーから引用すれば、タダ春ノ世ノ夢ノゴトシ、ヒトエニ風ノ前ノ塵ニ同ジという無常感、万物は定まりなく変化するといった、人の世の変わりやすさ、はかなさを感じざるを得ず、やはり人間は変わっていくものであると、認識するのが正しいだろうと思われます。 再びテレビの話ですが、僕が少年期位の頃に、ワルっぽくてカッコいいなと憧れた俳優を先日ドラマで見かけまして、けれども昔のギラギラしたワルさはすっかりと抜けており、表情や体つきも締まりがなくユルユルしてて、その娘役のアイドル女優から、「パパったらもぅー」とか言われ、フニャフニャしつつヘラヘラしてて、そのユルさは演技というよりその人自身からにじみ出てる感じで、ああ昔は飛翔してたのに堕落しちゃったと思わざるを得ず、だけど人は変わっていくものと考えれば仕方がないと言えますし、そして変わる場合というのはこの様に、まるで何かを失い落ちていくみたいに、ダメな方向に変わってしまう場合が多い気がしまして、自分の事を引き合いにすれば、僕は例えば小中学校の同窓会の様な、少年時代の同級生等と顔を合わせる事に気が進まず、その理由は、会えば皆をダメに変わっちゃったと感じてしまうんじゃないか、あるいは僕自身が、こいつダメになったと思われてしまうんじゃないかという事で、現在の僕は下手をすれば、ちょっとボンヤリ油断すると、すぐ生活費に事欠いて、休みの日は出費を抑えるため一人部屋に引きこもり、その部屋もひどい時は、掃除洗濯など面倒がって全然やらず、部屋全体にうっすらとホコリの層が積もって出来て、その上にカゴからあふれた洗濯物、ビールの空缶、つまみやお菓子等の空き袋(つまりゴミ類)、本棚から出しっぱなしの本や雑誌(古い言い方でビニ本を含む)、などなど散らばり転がって、夜はその転がりたちの中へ僕も酔って寝転がり、ああこのまま自分を放っておけば、どんどんダメになっていくといった感覚、どんどんダメな状態に陥らせる、何かそういう力みたいなのに、自分が引っぱられていく様な感覚を、ふと覚えたりしてしまうのですが、しかしこういった感覚は、特に僕に限ったものでもない風にも思え、もし前出の、「俺は俺さ」とかの言葉が、人は放っておいたらダメになるというのを意識した、俺はそうならないため抗うといった意の発言であるなら、前向きな言葉であると、考えられるのかも知れません。 自分を堕落させるダメな力の作用に逆らって、自分は何物かでありたいとの気持ちは、自身をダメにさせるまいといった意味で、例えば成人したダメ息子に就職や結婚を勧める、その親の気持ちと似てる様にも思えまして、その気持ちが希求する所は結局、「安定」というものである気がします。油断していれば自分は堕ちる、堕ちてそのまま死んでいくと考えれば不安に襲われ、「安定」こそが人生の希望や目的みたいにも思えてきますが、しかし人間の一生もヒトエニ風ノ前ノ塵ニ同ジとの見方をすれば、人生最大の目的が「安定」というのも、どうせ塵ニ同ジくせにとつまらなく思えなくもなく、どうせ塵なら埋もれてしまってる塵ではなく、フワリと飛翔を試みたい気もして、それは少年時代に自分の長い将来のうちに、いつか翔べる気がしていたという勘違いでなく、その勘違いが年を重ねて解けてしまって、簡単には飛べないと分かっていながら、それでも飛ぼうと試みたい気持ちで、その方が安定を求める事よりも、塵にふさわしいといった意味で、あるいは春ノ世ノ夢にふさわしいといった意味で、生きるに対して筋が通っているんじゃないかと思えるのです。 「自分は飛翔する塵になりたい」みたいな事を書きました。けれども前述した通り、ヒトのココロは変わるかも知れませんので、僕の考えも変わるかも知れないのですが、とりあえず今現在、そういう風に考えております。 |
2007.1〜2 |
僕は子供の頃から割と虫歯の出来やすい方で、銀歯が被さっている歯も多く、これ以上虫歯にならないようにと、キシリトールガムを噛んで近頃虫歯予防しているのですが、考えてみればむかし子供の頃に出来た虫歯は、フーセンガム等を噛みすぎたのも原因の一つですから、かつてガムによって出来た虫歯は、いまガムによって予防されていると言えまして、そういった意味で今よく噛んでるキシリトールガムは、お菓子のくせに歯を丈夫にするという、相互矛盾する条件を満たした、優れたオヤツであると考えられなくもありません。 前回のエッセイでボクシングについて、元チャンプのお言葉を参考にして、「ボクシングにはパンチ力と持久力や、闘争心と冷静さといった、相互矛盾する条件が求められる」と書きましたが、日本演劇界の元チャンプとも言える方が、三十年位前に書かれたエッセイで、“矛盾”について述べてまして、その内容は、俳優が生き生きと作品世界を生きる事が演劇にとって重要であるが、そのためのそれぞれの条件が、それぞれに矛盾する、例えば言語は動作に反しやすいし、身体は反精神的だし、その他時間と空間、個人と集団など、それぞれの条件が矛盾するといった事で、俳優に求められる事を簡単に言えば、生き生きと舞台に存在する事と言えても、そこに達するには矛盾をくぐり抜けねばならず、簡単ではないといった事が述べられておりました。 ガムの話に戻りますが、甘い菓子と虫歯予防という矛盾をくぐり抜けたという意味で、キシリトールガムは優れたオヤツと言えそうですけれども、しかしガムのパッケージをよく見れば、特定保健ナントカ食品と、オヤツらしからぬ事が書かれてあり、こいつはオヤツヅラをして菓子棚に平気な顔で並んでますが、ホントにオヤツなのかと疑問も生まれ、こいつの甘さの正体は、子供の頃に僕たちの歯を溶かした、バブルガムとかラムネキャンディとかの甘さではなく、人工甘味料というマガイモノであり、虫歯の危険を知りつつも、子供が心を奪われるのがホントのオヤツと考えれば、「歯を大切に」などとホザいてるガムは、オヤツの敵だと考えられ、優れたオヤツでもなんでもなくて、オヤツ風のクスリであり、矛盾をくぐり抜けた訳でもなく、更に言えば、クスリのくせに菓子棚に並んでいるという、スーパーとかで見られる現象が、矛盾しているのではと考えられます。 そう簡単には矛盾をくぐり抜けれないという一例を、ガムで示せた様に思われますが、だけど僕もよく噛んでるくせして、文句つけてるみたいな感じですから、なんだか僕自身矛盾してる気もし始めましたので、ガムの話はこれ位にしまして、ボクシングや演劇の“矛盾”について述べれば、この“矛盾”とは、それらをやっていく上での諸条件に、相互矛盾が生じるといったものですけれども、こういった事はそれらに限って起こる訳ではなく、例えばどんな仕事でも長く携わっていけば、職務遂行のための諸条件のなかで、矛盾を感じる場合があるだろうし、またクスリなのに菓子棚に並ぶといった様な、現象としての“矛盾”についてでは、例えばスーパーや薬屋の倉庫に積まれた、ティッシュ等の商品が梱包された段ボールには、よく「資源を大切に」とか「地球にやさしく」とか書かれたりしてますが、本気で大切にやさしくするつもりなら、売ったりするのはおかしいし、もしリサイクル商品だとしても、リサイクルするためのエネルギーを消費しただろうし、また商品を運送する際、車が排気ガスを大気中に撒き散らしたとも言えてしまう訳です。もちろん批判しているのではなく、僕も呼吸でCO2を吐き出したり、ティッシュやらトイレットペーパーやらを遠慮なく使い捨てたり、また食事に関して例を挙げれば、むかし水族館に行って海の生き物に感じ入ったその帰り道に、食堂で魚フライ定食を平気で食べちゃってた事もある様に、日々矛盾して過ごしており、そしてこれから先も、おめおめと、そうやって過ごす気がいたしますので、せめて“矛盾”についてもう少し、自覚的になろうかと思ったりし始めました。 むろん僕に限らず誰でも日々過ごす上で、どこか矛盾を抱えざるを得ない所があると思いますが、それら“矛盾”の大もとを考えれば、人間の営みには矛盾が生じる、また人間自体が矛盾した存在であると考えられ、更に言えば、「生きる」というのも矛盾しているのかも知れず、日々過ごす事は一日ずつ、人生の時間が伸びる気がしますが、人はそのうち十割の確率、百パー死んじゃう存在ですから、生きるというのは逆に一日ずつ、死に近付いているとも言えてしまいます。更にもっと「生きる」についての、その大もとを考えますと、人はいつか百パー死ぬのと同じ様に、人類というのもそのうちいつか、百パー滅亡すると言えまして、もちろん人類もいずれ絶えて消えちゃうのかぁと、実感するのも不自然ですけれども、いま「資源を大切に」とか「地球にやさしく」という感覚が、むかしより明らかに浸透して来ているのは、人類はいよいよ滅亡という終点に近付きつつあるんじゃないかと、人々がどこかで感じ始めた所があるのかも知れません。 いつか自分も人類も滅び去ると考えたら、どうせそうなっちゃうなら自分の好き勝手にやりたい気分にもなりますが、なかなか自分に都合良く、思った通りにはならない事は、自分の今まで、あるいは人類の歴史を少しでも振り返れば、すぐに分かる事でもありまして、じゃあどうすりゃいいのかと考えても、ハッキリ答えは出なそうです。でも少なくとも言えるのは、自分がいつか消え去るものとして、いま、ここに存在するんだとしたら、自分以外の人たちも、そういう存在であると言えまして、矛盾をくぐり抜けるというか、矛盾を引き受けるみたいな見方ですが、こういった見方もしてみる事で、何かちょっと変わるのかも知れません。まあもし「僕も君もいつか滅びるんだから、いま一緒にいる時間はかけがえがなく…」などと急に言い出したら、相手はドン引きするだろうし、逆に僕もそんな事言われたら、ちょっと引いちゃうと思いますので、その辺は少し、またしても、矛盾している気がするのですが。 |